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2022-02-08

【泣き笑いどすこい劇場】第6回「苦境に打ち勝つ!」その1――後編

昭和49年夏場所、急性肝炎で途中休場し入院。翌名古屋場所はカド番となった

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平成23(2011)年3月、日本列島に未曾有の災難が降りかかった。死者、行方不明者が1万人超という東日本大震災の惨状を目の当たりにすると、ただ息を飲み、手を合わせ、涙するしかない。角度を変えてみると、スケールが違うが、八百長問題に苦悶する大相撲界も同じようにのたうち、もがいているように見える。でも、こんなことでくたばってたまるか。これまでも日本人は試練に遭遇し、追い込まれるたびに雄々しく立ちあがり、以前にも勝る大きな花を咲かせてきた。この苦難は、さらに飛躍し、大きくなるための肥やしだ。そう信じ、こうエールを送って力士たちが苦境を切り抜けたエピソードを紹介しよう。がんばれ東北! 立ち上がれ大相撲!

奇跡を呼んだ愛の平手打ち

昭和53(1978)年、カド番に追いつめられた春場所、3日目まで1勝2敗と苦しむ大関貴ノ花は、夜中に布団をはいで起き上がり、何かジッと考え込んでいた。

翌朝、隣に寝ていた荒磯親方(元関脇大豪)からこのただならぬ様子を聞いた師匠の二子山親方(元横綱初代若乃花)はその夜、午前3時に起きてソッと部屋を覗いてみると、本当に貴ノ花が布団の上で腕組みし、考え込んでいた。

これを見た二子山親方は貴ノ花の肩をゆすり、頬を平手で2、3発、パチンパチンと叩いてこう言った。

「そんなに思い悩んでどうする。負け越したら負け越したでいいじゃないか、酒でも飲んで発散しろ」

この話には伏線がある。この4年前の昭和49年名古屋場所、やはり急性肝炎で前の場所、途中休場し、カド番に追い込まれていた貴ノ花は、4日目も負けて1勝3敗となり、打ち出し後、報道陣が大挙して宿舎に押しかける状況に陥った。負けた相撲内容がいずれも悪く、休場必至と見られたのだ。しかし、二子山親方は顔を真赤にして報道陣にこう否定した。

「貴ノ花は絶対に休ません。力士はサラリーマンとは違うんだから、こういうときは、酒でもキューッとやって何もかも忘れちゃえばいいんだ」

その夜、師匠の言葉どおりしたたか酔った貴ノ花が宿舎に戻ってきたのは午前0時を大きく回っていた。捨て身とも思える気分転換が功を奏し、貴ノ花は翌5日目から8連勝してカド番を脱した。その8勝目は史上最年少の綱取りに挑んでいた全勝の北の湖を破ったものだった。

2匹目のドジョウはいないのが通り相場だが、この昭和53年春場所はいた。二子山親方から“愛の平手打ち”をもらった貴ノ花は迷いから覚め、4日目から4連勝。さらに2日おいて3連勝して勝ち越し、大関の座を守った。

月刊『相撲』平成23年4月号掲載

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