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2022-02-04

【連載 名力士ライバル列伝】横綱 栃ノ海が語るわが技能と盟友たち――中編

昭和39年初場所後、第49代横綱に昇進した栃ノ海

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師匠・兄弟子である名人横綱・栃錦を
上回る技能とも評されたと栃ノ海。
大関3場所目の昭和37年九州場所12日目、
この場所3連覇する全勝の大鵬に土を付けた一番とともに、
「柏鵬」の両巨頭を苦しめた卓越した技と、
同門の盟友たちの思い出を、
元栃ノ海の花田茂廣氏に振り返ってもらった。

“土俵の鬼”への恐怖心

昭和37(1962)年九州場所12日目の大鵬関との一番は、最後は右足を飛ばしての外掛け。ただし、この土俵際の外掛けは、本来は良くないこと。相手がまだ残しているうちに、先に自分の足が土俵の外へ着いてしまうことがあるからです。師匠からも「土俵際の外掛けはやめろ」と注意されましたが、どうしても「勝ちたい」気持ちがまさり、出てしまうものなんです。

私の場合、足技は、こうして苦し紛れに使ってしまうことが多かった。二枚蹴りも、深く差し過ぎで両上手を引きつけられ、動けないので、とっさに左足を飛ばしたり。若乃花さんに初めて勝った一番もそう(37年初場所10日目)。

若乃花さんと顔を合わせると、地元青森の英雄への憧れと同時に、巡業でさんざんかわいがられてきた恐怖心がない交ぜになる。止まったら何をされるか分からない。だから、とっさに蹴返しにいったんです。でも、火に油ではないですが、この後の巡業では、「この野郎、足なんか蹴りやがって!」と土俵に引っ張り出され、ずいぶんひどい目に遭った覚えがありますね(苦笑)。

大きなタイヤを転がしているうちは軽く感じるけれど、一度止まってしまうと、また押して動かすのは容易ではない。それと同じで、大型力士には動き続けることで勝機を見いだすことができるのです。特にその理想とする相撲が取れたのは、二人を連破して優勝した昭和38年九州場所でした。

対戦成績=大鵬17勝―6勝栃ノ海

『名力士風雲録』第23号 佐田の山 栃ノ海 栃光 掲載

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