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2022-02-01

【泣き笑いどすこい劇場】第6回「苦境に打ち勝つ!」その1――前編

軽量の上に内臓疾患も抱えていた大関貴ノ花(初代)

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平成23(2011)年3月、日本列島に未曾有の災難が降りかかった。死者、行方不明者が1万人超という東日本大震災の惨状を目の当たりにすると、ただ息を飲み、手を合わせ、涙するしかない。角度を変えてみると、スケールが違うが、八百長問題に苦悶する大相撲界も同じようにのたうち、もがいているように見える。でも、こんなことでくたばってたまるか。これまでも日本人は試練に遭遇し、追い込まれるたびに雄々しく立ちあがり、以前にも勝る大きな花を咲かせてきた。この苦難は、さらに飛躍し、大きくなるための肥やしだ。そう信じ、こうエールを送って力士たちが苦境を切り抜けたエピソードを紹介しよう。がんばれ東北! 立ち上がれ大相撲!

追いつめられたプリンス貴ノ花

人間、窮地に追いつめられれば、最後は腹をくくるしかない。大関在位50場所。名大関といわれた貴ノ花(初代)も決して平坦な道ばかり歩いたワケではなかった。軽量で、内臓が弱く、しばしばカド番のピンチに陥っている。

昭和53(1978)年初場所も肝機能障害で力が出ず、初日から4連敗し、5日目から休場。翌春場所は4度目の大関カド番だった。

この前後の大関貴ノ花は低迷し、もがき苦しんでいた時期で、心機一転を図ってこの2場所前の昭和52年九州場所には四股名を「貴ノ花」から「貴乃花」に変え、さらにこの2場所後の53年名古屋場所にはまた「貴ノ花」に戻している。

しかし、なかなか意図したような結果は出ず、カド番に追いつめられた春場所も、初日、青葉山に勝ったものの、2、3日目と連敗して1勝2敗とたちまち黒星が先行した。

この2連敗した3日目の午前3時頃のことだ。静かに寝ていた貴ノ花が突然、ガバっと布団をはいで起き上がり、同じ部屋で枕を並べていた荒磯親方(元関脇大豪)が驚いて、

「どうしたっ」

と声をかけたが、何の反応も示さず、何かジッと考え込んでいた。(続く)

月刊『相撲』平成23年4月号掲載

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