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2022-01-28

【連載 名力士ライバル列伝】横綱 栃ノ海が語るわが技能と盟友たち――前編

技巧の名人横綱・栃ノ海

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師匠・兄弟子である名人横綱・栃錦を
上回る技能とも評されたと栃ノ海。
大関3場所目の昭和37年九州場所12日目、
この場所3連覇する全勝の大鵬に土を付けた一番とともに、
「柏鵬」の両巨頭を苦しめた卓越した技と、
同門の盟友たちの思い出を、
元栃ノ海の花田茂廣氏に振り返ってもらった。

「廻しを取らない、取らせない」これが打倒・柏鵬のカギ

われわれの時代、力士たちの目標は、ただ一つ、「柏鵬を倒す」。これだけだったと言っても過言ではありません。相撲界の金看板の二人を倒さなければ、自分たちの名前が大きく世に出ないわけですからね。

そして、その「打倒・柏鵬」には“廻しを取らない、取らせない”。これがカギとなりました。つまり、私のような小兵力士が、大型力士に対して深く差したり、廻しを取りにいったりすれば、逆に廻しを取られて不利になる。深く差さずにハズで押す、そして、相手の重みを感じぬよう休まずに動き続け、5秒以内で決着をつけるつもりで攻め続ける。それが基本でした。

大鵬さんは体が大きい上にモロ差しがうまいので、私はとにかく、下から、下から入ることを心掛けていました。「柔の大鵬、剛の柏戸」とよく言われますが、立ち合いの当たった感触はまさしく、大鵬さんは綿布団に吸収されるような柔らかさ。逆に柏戸さんは、戸板に思い切りぶつかったような、頭の芯に響く硬さでした。

私は十両に上がるころまでは左半身の相撲でした。でも、半身というのは“守りの相撲”。だから、師匠(元横綱栃錦)からは「左はいつでも使えるんだから、右を鍛えろ」と、右も使って真っすぐ正面から攻めていけるように徹底的に指導されたんです。

新入幕場所の玉響関との一番(昭和35年春場所9日目)で打っ棄った際に左手首を痛める“ケガの功名”もあって、そこから余計に、左四つが右四つの相撲になるくらい、右を使うようになった。だから私は、右から入ったほうが自然と正面から攻める体勢になり、相撲が速かったんです。

昭和37(1962)年九州場所12日目の大鵬関との一番は、すんなり二本差せた分、自然と深く差す形になってしまった。こうなると、逆に上から覆いかぶされて苦しくなる。そこで初めは抱きつくように両下手を取ったところ、思い直したように左を離し、ハズにかかって大鵬さんに右上手を取らせない体勢に持ち込みました。これが〝廻しを取らない、取らせない〟ということです。

大鵬さんが右を巻き替えにきたところを左からおっつけ、さらにハズで寄り立てていく。ここで、自分の親指を相手のワキの下に突っ込み、ワキの肉をつかむようにして押し上げた。ワキの下に親指を突っ込まれると、痛みで腕に力が入らなくなる。これで相手に廻しをつかませず、上体を起こすことができる。これも師匠の栃錦関から教わった技能です。(続く)

対戦成績=大鵬17勝―6勝栃ノ海

『名力士風雲録』第23号 佐田の山 栃ノ海 栃光 掲載

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