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2022-02-17

天龍源一郎が最強タッグ入場式で緊急出場の川田利明に見せた気配りとは?【週刊プロレス昔話】

タスキを外した天龍源一郎、最初からタスキなしの川田利明

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 1988年11月20日、全日本プロレス後楽園ホール大会で「世界最強タッグ決定リーグ戦」入場式がおこなわれた。

 大会出場全選手がリング上に勢ぞろいした光景は華やかでボリューム感たっぷりでワクワクするほど楽しい。同年の新日本プロレス「ジャパンカップ・イリミネーション・リーグ戦」はプラカード嬢を先頭に入場し、各トリオがそれぞれチームカラーを打ち出したジャンパーを着用するという新趣向を見せていた。

 一方の全日本はオーソドックスに選手ネーム入りのタスキ。日本プロレス以来の伝統だが、どちらの肩から掛けるかは、最初の頃はてんでんばらばらだった。日本プロレス最後の大会となる第14回ワールドリーグ戦(1972年)入場式では、日本組は左肩、外国人組は右肩から掛けていたが、アブドーラ・ザ・ブッチャーだけは手に持っていた。外国人組の中で1人だけ左肩から掛け、気がついて外してしまったのだ。

 そんな歴史あるリーグ戦の入場式。1988年の全日本「最強タッグ」はキレイに全員が左肩にタスキを掛けていたのだが、1人だけリングに上がってからさりげなくタスキを外した選手がいた。天龍源一郎である。

 開幕前日に阿修羅・原が突然解雇され、天龍はパートナーに川田利明を指名。当然のことに川田のタスキは用意されていなかった。11チーム22選手の中で、川田だけがタスキなしの入場式となって、天龍もそっと外したのだろう。

 何とも心優しい気配り。天龍の親分肌が垣間見えた一幕だった。

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