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2022-02-12

革命戦士前夜の長州力は北米タッグの絶対王者! 1年10カ月間13度防衛…新日本プロレス歴史街道50年<12>【週刊プロレス】

北米タッグ王者の長州力&坂口征二

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 タッグチームは大きく分けて3種類。1つはトップクラス同士のコンビ。北米タッグ王者でいえば、アントニオ猪木&坂口征二、坂口&ストロング小林がそれにあたり、安定した実力が光る。

 2つ目は売り出し中のレスラーによるタッグ。組みだした頃の天コジ(天山広吉&小島聡)のようにトップに上り詰める過程にあり、未知数の魅力を秘めている。

 そしてもう1つが先輩・後輩コンビ。こちらは先輩が後輩の売り出しをサポートする形となる。これにあたるのが、最後の北米タッグ王者チームとなった坂口&長州力。実力は認めながらも地味だったためになかなかトップクラスに昇格できなかった長州だが、チームリーダーといってもいいほどの記録を残している。

 長州力が初めて北米タッグを巻いたのは1979年6月15日(現地時間)、西海岸の殿堂、ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでヒロ・マツダ&マサ・サイトーを破ってのものだった。その2カ月前に約3年に渡って新日本タッグ戦線の主役を務めてきた“怪力コンビ”が狼軍団に敗れてベルトが海外に流出。前王者チームが奪回に乗り出すのが普通だが、前年に凱旋帰国した藤波辰巳(当時)がドラゴンブームを巻き起こしたこともあって、次代のスターが求められていた。そこで実力派である長州に白羽の矢が立てられ、坂口のパートナーに指名された。

 その期待に応え、一発で奪回に成功。アントニオ猪木のパートナーとしてTVマッチへの登場機会も増えたが、トップ外国人に狙い撃ちにされるなど伸び悩んでいる印象を与えてしまった。また、藤波と異なって華に欠けていたため、思惑通りにはいかなかった。

 とはいえ、北米タッグ戦は強さを発揮した。IWGPの理念に賛同して無敗のまま返上するまで1年10カ月間保持。引き分け防衛はザ・サモアンズ相手の1度だけで、防衛回数は13回に及び、IWGPタッグ、同ジュニアタッグを含めても新日本マットにおけるタッグ王座の連続防衛記録。

 それだけでなく王座奪取の試合を含め、1本勝負でおこなわれた2試合を除いた12試合中8試合で長州が決勝ラウンドを制しての勝利。実に7割近くを占める。また、3本目が反則勝ちや坂口が決めた試合でも1本は奪っており、各ラウンドの記録に勝利欄に「長州」の2文字が記されていないのは、タイガー・ジェット・シン&ドン・ムラコが相手だった最後の防衛戦のみだ。

 まさにタッグにおける絶対王者だった長州。初防衛戦では前王者チームの片割れだったストロング小林から決勝ラウンドで勝利して猪木、坂口、藤波に次ぐナンバー4の座をもぎ取ったものの、そこから伸び悩む。名実ともにトップ3に割り込んだのは、あの「嚙ませ犬」発言をぶっ放し、革命戦士と呼ばれるようになってから。北米タッグ王者になってから実に4年半の時間を要したのである。
(つづく)

橋爪哲也

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