1989年2月22日、新日本プロレス両国大会でアントニオ猪木が長州力とのシングルで敗れた。 大会9日前に急きょ決まった猪木と長州のシングル。同大会の目玉はソ連との対抗戦。なぜこのタイミングで猪木vs長州が組まれたのかファンの間では謎だった。試合前、新日本は同年の4・24東京ドーム初進出決定を発表。さまざまな憶測が渦巻く中で決戦のゴングが鳴らされた。
午後9時12分、試合開始。クラシカルな展開の中、長州が珍しくフライング・ヘッドシザース。これには客席がどよめいた。頭突き合戦から荒れ始め、猪木がナックルパートを繰り出せば、長州もバックドロップ2連発。10分経過後、猪木が延髄斬り3発から人間風車。ここ一番で飛び出す奥の手だ。
長州はナックル、ブレーンバスターを食らってもバックドロップで反撃。ラリアットを3発爆発させ、左で4発目を決めると、5発目は前年7月に初のピンフォール勝ちを収めた後頭部の一発。
トドメの6発目は正面からさく裂させた。15分29秒、体固めで決着がついた。マットに大の字になった猪木。3カウントが入ってもピクリとも動かない。
前年7月、長州にピンフォール負けを喫した後に猪木は「負けた気がしない」と語っていた。しかし、今回は有無も言わせぬ完敗。口元に血をにじませていた猪木はリング上で、泣いていた。
ショックの大きさからか、猪木は試合後も無言。シャワーを浴び、着替え、駐車場に向かう。その通路で待っていたのが長州だ。革命戦士は「ありがとうございました」と深々と頭を下げていた。