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2022-05-28

新日本・棚橋弘至が大阪でラジオ番組にハシゴ出演! プロモーション活動も本格再開【週刊プロレス】

 まん延防止法重点措置も解除され、会場によっては通常仕様での観戦・鑑賞に戻りつつあるプロスポーツ、エンターテインメント界。コロナ禍前の日常に近づいていくなかで、新日本プロレスでは本格的なプロモーション活動を解禁。これまでは番組出演も自粛傾向にあったが、第1弾として5月25日から26日にかけて、棚橋弘至が在阪局にハシゴ出演した。

 もともと新日本は大会前に限らず、事務所を構えて営業マンを常駐させるなど大阪には力を入れていた。結果、プロレス団体では唯一、大阪ドーム(現京セラドーム大阪)進出を果たしているし、大阪城ホールでの開催ももっとも多い。また、大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)をはじめとする大阪の大会場はもちろん、周辺都市でも定期的に興行を打ち、満員の観客を集めるほか、名勝負、名シーンも数多く残してきた。

 選手の魅力、活躍がその要因になっているのはもちろんだが、一方で多方面でプロモーションを展開。プロレスファン以外の一般大衆にもプロレスも魅力を届けてきた成果でもある。

 2000年代から積極的にプロモーションに駆り出されてきたのが棚橋。その地道な活動が、大阪の地盤を築いてきたのは確かだ。それだけに今回、在阪3局(FM OH!、ABCラジオ、FM COCOLO)を回ってのプロモーションは棚橋自身、懐かしい思いに浸ったひと時でもあった。

 26日午後にはABCラジオ「ますだおかだ増田のラジオハンター」に出演。90年代新日本風のリングアナウンサーに扮した増田英彦(松竹芸能)に呼び込まれてスタジオ入りした棚橋は、「プロレスを知ってる人ならではの雰囲気が出てました」。

 実は増田は高校3年の時にリングアナ希望で新日本に入社を希望。事務所に出向いたものの、「大卒しか採らない。入社してもリングアナに配属されるかはわからない」と説明されて断念。結果的に大学時代に相方(岡田圭右)と知り合って漫才師の道に進んだエピソードを披露した。

「いまのプロレス、ちょっとどないかならんのかい!」をテーマに話を進めていったが、コロナ禍におけるプロレスに関して棚橋は「いまは会場にもファンの方が来てくれるようになりましたけど、まだ拍手のみの応援で。それでもだいぶ雰囲気はよくなってきたんですけど、一昨年6月に大会を再開した時は無観客試合で。動画配信でファンの方々に見てもらっていたんですけど、“観客がいないプロレスはプロレスじゃないな”って、やりながら戸惑いを感じてました」と振り返り、「巌流島決戦(アントニオ猪木vsマサ・サイトー、1987年10月4日)とはまた意味が違って、“ファンの方があって応援してもらって、僕らはそれをエネルギーにして立ち上がる”っていう、プロレスってファンの方との相乗効果でどんどん高みに上っていく競技なんだなっていうのをあらためて感じました」と語った。

 5月14日(現地時間)、ワシントンDCで開催された「Capital Collision」に参戦、残念ながらUSヘビー級王座から転落したものの、歓声のある中で闘ったことに関して「あの環境の中だと、いつまでも動いてられますね」と懐かしんだ。

 またリスナーからの「ロープに振られたらなんで返ってくるのか?」「プロレスのフォールはなんで3カウントなのか?」「悪役と正統派レスラー、本当は仲がいいんじゃないですか?」といった素朴な質問にも答えたほか、プロモーション活動に積極的になったきっかけを明かした。

 最後は「『DOMINION』(6・12大阪城ホール)は1年を通じたなかで新日本プロレス上半期の総決算的な大会。注目のカード、主要タイトルマッチがずらりと並ぶんで、会場に足を運んで応援していただきたい」とアピールし、「リスナーの皆さん、愛してま~す!」で番組出演を締めくくった。

 なお、棚橋が出演した番組の模様はradikoプレミアム(有料)のタイムフリー機能で番組終了後から1週間以内なら視聴可能。

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