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2022-06-27

アンドレにケンカを売った真相、ブッチャーとの仲間割れをバッドニュース・アレンが明かす…新日本プロレス歴史街道50年(46)【週刊プロレス】

アンドレ・ザ・ジャイアントとアブドーラ・ザ・ブッチャー

長州力、阿修羅・原がスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットを最も受けたレスラーなら、バッドニュース・アレンはアントニオ猪木の延髄斬りを最も浴びたレスラーだろう。その点では、銀幕の世界でいう“助演男優賞”的な存在。

その一方でアレンは、リング外でもさまざまなエピソードを残している。そんな様々なエピソードに関して本人に直撃。20年前、旗揚げ30周年特別企画としてカナダ・カルガリーで行ったインタビューで語ったアレンの言葉を再録。
※2002年5月16日発売のプロレス専門紙に掲載。リングネーム、団体名などの表記は当時のもの。

――あのアンドレ・ザ・ジャイアントにケンカを売ったこともあったとか?

アレン よく知ってるね(笑)。毎日毎日、あまりにバカにしたことを言うもんだから。初めはガマンしてたんだけど度を過ぎるもんだから辛抱しきれなくなってね。ツアー中、ホテルに泊まった時に「屋上に来い!」って言ってやったんだ。そしたらガタガタ震えて謝ってきたよ。それを見ていたハルク・ホーガンらがビックリしてたのを覚えてるよ。

――アブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本に移籍してからは、あなたがタッグパートナーとして彼をサポートしてました。しかし最後は仲間割れ。リング外でも何かあったじゃないかって思わせるほど怒ってるように見えましたが、何かあったんですか?

アレン あぁ、ブッチャー……。ツアーに出ると、彼とはリング外でも一緒に行動していた。毎日、一緒に食事してたんだけど、彼は代金を全然払おうとしない。そろそろ店を出ようという段階になると、「ちょっとトイレに行ってくる」とか何らかの理由をつけて席を立ったまま戻ってこない。代金を支払わないで店を出るわけにはいかないだろ? 仕方なくオレが払うんだけど、次に顔を合わせても返してくれないんだ。そのうち、“なんでオレが毎回払わなくっちゃいけないんだ?”って思うようになって。それで彼の下を離れたというわけさ。カネの恨みは恐ろしいってな(笑)。

――ブッチャーはカネに細かいって聞いたことがあります。

アレン まぁ、そういうヤツってことさ。

――新日本の海外遠征に何度も同行されてますね。

アレン イラクとかパキスタン、イタリアなど、多くの国に行ったね。でも、パキスタンに行ったとき、イノキは「もう、こんなところには来ない」って言ってたんだけどなぁ……。確かに暑いし、みんな体調を壊して大変だった。

――猪木の延髄斬りを最も多く受けたのはアレンさんだと思います。

アレン そうだな。毎日のようにあのキックで倒されていた。そういえば最後に日本に行った時だから98年のことだけど、クロネコ(ブラック・キャット)と会って食事をしたときに、彼からミスター・イノキの電話番号を聞いて電話したんだけど、コールバックはなかったな。

――そういえば新日本にクリス・ベンワーを留学させたのもアレンさんでしたね。

アレン イエス。プロレスラーになりたいとカルガリーに来たのを覚えてるよ。体が小さかったし、オレの経験からしてニュージャパンのドージョーでスタートした方がいいんじゃないかと思って間に入ったんだ。WWEでビッグスターになってくれてうれしいよ。

――92年には新日本からUWFインターナショナルに戦場を移しましたけど、そのいきさつは?

アレン タカダがエースの団体だな。最初は1試合だけの約束だった。ゲイリー・オブライトをもっと売り出したいということで話が来た。彼とはカルガリーで一緒にサーキットした仲だしね。ニュージャパンのオフィスに話したら「行くな」と言われたんだけど、サカグチだけは違った。彼はハートの大きな人間だから「OK」って。オレは「(Uインターとの)約束通り1試合だけ出て、またニュージャパンに戻るから」って伝えたんだけど、それからオファーは来なくなった。

――アレンさんから見て、ナンバー・ワンの日本人レスラーは誰ですか?

アレン ンー……それは難しいな。でもイノキの後ってなるとムトーじゃないかな。彼は体も大きくてハンサム。日本人としては珍しいタイプだ。

――最後に、日本のファンにメッセージを。

アレン 18歳で柔道を始めて38年間の格闘技生活だったけど、プロのキャリアをニュージャパンでスタートできた幸せだった。日本のファンに支えられたからこそ、ここまでこれたと思う。本当に日本は好きな国だし、また日本に行く機会がくることを楽しみにしてるよ。ところでチョーシューがカムバックしたって? この前もWWEを見てたら、ホーガンやフレアーが出ていた。いい加減、若い選手に道を譲るべき。いい選手が育ってるんだから。そういえばチョーシューがあまりに髪を引っ張るもんだからスキンヘッドにしたんだよ(笑)。


<プロフィル>
本名アレン・コージ。1943年10月22日生まれ、米ニューヨーク州ニューヨーク出身。18歳で柔道を始め、AAUなどのタイトルを獲得。76年、モントリオール五輪で銅メダルを獲得。アメリカ人では初の柔道メダリストとなる(2人目はロンダ・ラウジー=銅メダル)。翌77年、プロ転向。同年10月25日、日本武道館での「坂口征二との柔道ジャケットマッチでデビュー。その後、新日本に1年間“留学”。ミュンヘン五輪で2階級制覇を達成したウィリエム・ルスカとも柔道ジャケットマッチで闘う。留学期間を終えると、フレッド・ブラッシーをマネジャーにアメリカ東部(WWF=当時)をサーキット。80年から外国人サイドで新日本マットに定着。外国人エースをサポートする立場で、日本人サイドにとっては嫌な存在。同じ柔道出身の坂口の好ライバルとなる。92年、UWFインターナショナルに移籍。97、98年には新東京プロレスに来日。99年、両ヒザを手術を機に引退。その後、カナダ・カルガリーで警備会社に勤めていたが、2007年3月6日、急性心不全で死去。63歳だった。

橋爪哲也

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