選手にはそれぞれの特性があり、ストロングポイントがあり、もちろん“こだわり”もある。それは4回戦ボクサーから世界チャンピオンにいたるまで、様々に持ち合わせているものだ。
肩書きにとらわれず、こちらの感性、琴線に突き刺さってきた選手、個性、技術、真髄、奥義──に迫りたい。そんな想いから、毎月ひとりのボクサーに流儀を語ってもらう。
第5回は、日本、東洋太平洋王座を制し、世界タイトルに挑戦したものの敗れ、ふたたびWBOアジアパシフィック王座からやり直しを期す井上岳志(30歳=ワールドスポーツ)。現在の戦績は18戦16勝(10KO)1敗1分。世界を獲るために欠落していた部分を見つめ、劇的な変化、進化を遂げたその真髄に迫る。
※『ボクシング・マガジン2020年3月号』掲載記事を再編集したものです
上写真=アッパーカットの軌道は井上ならでは。肩の可動域が広くなければ打てない
文&写真_本間 暁
Text & Photos by Akira Homma
◆スタイルを省みる◆
井上岳志のボクシングを初めて見たのは、関東大学リーグ戦だった。法政大学の“トリ”を務めていた彼は、後楽園ホールの応援団はもちろんのこと、取材に訪れるわれわれの心をも、いつも鷲摑みにしていた。
当時のアマチュアボクシング撮影は、リングサイドに入ることが認められていなかったため、東西のバルコニーから望遠レンズを構えるしかなかったが、ファインダーを覗きながら、我慢できずに小さく歓声を上げるのが常だった。
チームウェア越しにもビルドアップされた姿態は判別できる。筋骨隆々の上体、丸太ん棒のようなぶっとい腕をなりふり構わずにブンブンと振り回す。相手の腕、体、どこかに当たりさえすれば、ドカンバカンとものすごい大打撃音がバルコニーにまで届いてくる。もう、その音が快感だった。井上岳志の登場は、毎度楽しみのひとつだった。愛情をこめて、「バカパンチャー」と名づけ、2週間後の登場を待ち望んでいたものだ。
そのスタイルは、多少の変化があったとはいえ、プロに入ってからもベーシックな部分で継続された。近づいていってぶん殴る。強靭なフィジカルで押す。そうやって、日本、東洋太平洋とタイトルを獲得し、次代のスター候補、前WBO世界スーパーウェルター級王者ハイメ・ムンギア(23歳=メキシコ)に挑戦するまでに至った。だが、昨年1月、アメリカ・テキサス州ヒューストンでのトライは大差の0-3判定負け。戦前は「KO負け必至」などと言われた試合だけに、「井上善戦」と讃える声もあったが、それでも世界に通用しなかったことは紛れもない事実だった。
「(駿台学園)高校時代は、連打、ストレートも打っていました。距離を近づけて連打。でも、大学からこの前までは超接近戦で、相手にくっつきすぎて、自分のパンチが死んでしまっていたんです」
このままでは、世界に通用しない。フィジカルは通じるという自信以上に、通用しない自分のスタイルを省みる思いのほうが強かった。
◆無駄を削ぎ、必要なものを得る◆
プロデビューにあたって取材した際、「筋トレはやめているんです」と言っていたことを記憶している。
大学時代、「『ボクシングは、筋トレをやったらダメになる』という風習があって、それに抗うというか(笑)、『筋トレをやって、強くなってやる』って証明しようとしたんです(笑)。でも、自己流なので、結果的に連動性が崩れていった。手打ちになってしまったんです」
過度に付き過ぎた筋肉、バランスの悪い筋肉は、自身のボクシングを制限していた。つまり、パンチの軌道を無駄な筋肉が邪魔していたのだ。だから、プロ入りに際し、彼は筋肉を落とす作業に取り組んだ。2年間、筋トレらしい筋トレをまったく行わず、腹筋と首を鍛えるだけにした。
「その後に、中村(正彦)先生の『B.E.A.T』に出会ったんです。連動性を常に意識して、ボクシングの邪魔にならない筋肉をつくっていくんです」
元々、自身の体に人一倍興味があったからこそ、自己流ながら筋トレに没頭するという性質。どこが弱く、どこを鍛え、どういう体の使い方をすれば、下半身のパワーを連動させて腕、拳に伝達できるか、理論的に指導されれば、吸収は早い。
連動の理論を学び、体に染み込ませる。だが、肝心のボクシングスタイルが、それに対応していなかった。
◆すべてのピースがつながった◆
高校、大学と直系の先輩となる齊田竜也会長には、ずっと以前から「拇趾球で立て」と言われ続けてきた。「これまでのスタイルを捨てるわけではなく、遠い距離で戦えなければ、世界では戦えないと悟ったんです。前の戦い方は、無意識でもできる。だから、意識して、拇趾球で立って、足を使う。距離を取る。ストレートを打つ。そういうボクシングに取り組み始めたんです」
無為に過ごす1年間は、あっという間だが、必死になにかに取り組む、もがき苦しむ1年は、振り返れば気が遠くなるような時間の連続となる。体になかなか染みつかない苛立ち、苦しい気持ち、焦燥。だが、数ミリ単位かもしれないが、ほんのわずかの成長が徐々に実感できるようにもなっていった。「新しいものを取り入れる喜び。ボクシングを最初から学び直す。高校1年生からやり直すという喜びも湧き出てきたんです」
内転筋と中殿筋を鍛える。外に流れていこうとするパワーを止める。バランスを整える。元々ガニ股だったカタチを矯正する。フィジカル、体幹を鍛え、下半身と上半身の連動を学んできたが、ボクシングスタイルを変化させることで、それらの意味を体で実感する。「ようやく無意識でストレートを打てるようになった」のは、今年1月の防衛戦だった。「無意識に打ったストレートはいい。でも、ここだ!って思って打ったストレートは伸びない。脱力と下半身との連動性が大切だって痛感しました」
いまは、ボクシング、フィジカル、ランニングと練習項目を3つに大別し、MAXを5と数値化。「5・5・5ではオーバーワーク、トータルで10くらいがいいんです」と、練習量を細かく調整する。なにをするにもメモ。練習メニューも当然、毎日メモを残し、スケジューリングする。頭の整理にも役立てる。
「大学時代は猪突猛進でしたけど、プロデビュー戦(2014年8月、vs.永田大士=三迫)で引き分けて、神経質になったというか……。ボクシングに関してだけですけどね(笑)」
自己流筋トレから始まり、無駄な筋肉を削ぎ落し、必要な筋肉を正しいフィジカルトレーニングで身に着ける。体の使い方を学び、ボクシングスタイルを変化させる。一見、バラバラのピースに思えるものが、ひとつカチッとハマった瞬間、すべてが連結して作動し始めた。
「ヒザを柔らかく使えるようになったので、ディフェンスの幅も広がったし、会長に言われてきた、『打った後に、切り返してボディを打って』とか一つひとつ習ってきたものもつながったんです。バリエーションが広がりましたね。そう考えると、バリエーションって、無限にありますよね」
こだわりは「拇趾球」。それがすべてを司り、基点となり、起点となった。井上岳志のボクシングを劇的に変化させた原点である。
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