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2022-08-09

長与千種がコロナ陽性で急きょ欠場も…KAORUが万感の引退試合【週刊プロレス】

異例の「5カウントゴング」を要求し、万感の引退試合を終えたKAORU

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8日、東京・後楽園ホールにてマーベラス後楽園大会がおこなわれ、女子プロレス界の功労者のひとり、KAORUが引退試合をおこなった。

KAORUは長与千種にあこがれを抱き、1986年8月8日に全日本女子プロレスでデビュー。高橋美華との〝ハニーウイングス〟でアイドルタッグチームとして活動する中、ユニバーサルプロレスのリングに上がるようになり、メキシコに渡って「インフェルナルKAORU」となり、ジャパニーズ・ルチャドーラの先駆者となる。

1994年には長与とともに「GAEA JAPAN」の旗揚げに参画、里村明衣子をはじめとした新人選手たちを育て上げ、選手としては尾崎魔弓との〝D-FIX〟でハードコアファイトを展開。ライオネス飛鳥との激しい抗争も注目を集めたが、常にケガに泣かされ続けた面もあった。

GAEA解散後、2015年には再び長与が立ち上げる新団体「マーベラス」に参加。長女として選手たちの精神面を支える重要な役割を担ったが、両親の介護が困難となったことから引退を決意。本来は昨年の8・8後楽園で引退が予定されていたが、大会の1カ月前の試合で足に粉砕骨折の重症を負い、1年後のこの日に足にプレートを入れたままの引退試合を迎えることになった。

さらに大会の2日前にはこの日復帰戦が予定されていた長与をはじめとした3名が新型コロナ陽性で欠場となるハプニングも続いたが、KAORUはマーベラスで生まれたユニット〝w-fix〟で所属選手たちを相手に躍動。ドクターストップがかかっていた代名詞のムーンサルト・プレスも華麗に決めていったが、最後は愛弟子の一人・彩羽匠がランニングスリーで介錯を勤め上げた。

試合後、これまで関わったすべての人たちに感謝を伝えたKAORUは中継カメラ越しに「長与さん、何してくれるんですか最後! 貴方が私の骨を拾ってくれないでどうするんですか! 苦しいですか?(ニヤリ) 耳が痛いかもしれないけど聞いて下さい。私は貴方にあこがれて女子プロレスラーになり、貴方の元から巣立とうとしています。骨を拾って下さい、キチンと」と語りかけ、引退10カウントゴングを異例の5カウントに。

残りの5カウントはこの日欠場となった3名が揃う場で、再び執りおこなわれることとなる。最後までハプニング続きとなったらしさ全開の引退試合は万感のものとなり、KAORUは笑顔でリングを降りていった。

BBM SPORTS

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