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2022-10-26

アントニオ猪木が力道山との出会いを振り返る「偶然じゃない。必然というか。オレにとってはね」【週刊プロレス】

1960年代、力道山を見つめるアントニオ猪木

10月1日“燃える闘魂”アントニオ猪木さんが亡くなった。その偉大な足跡を2010年4月22日発行の「アントニオ猪木50周年 上巻」に収録された当時のインタビューから抜粋。まずはブラジルで生活していた時に力道山にスカウトされてプロレスラーになった話からスタート。

――チャレンジスピリットの原点はやはり船で日本からブラジルに渡って、家族でいろんなことに挑戦したことにあるのですか?

猪木「そうでしょうね。それがもう一番。その時にはそんなことを考えたわけでもなく、振り返ってみると一歩踏み出した。そして、まったく今みたいな情報化時代じゃないから。2度と日本に戻ることもないだろうという決意で出ていくわけですから。

そこで目にするものすべてがビックリするようなことばっかりじゃないですか。パナマ運河を越えて、ワニが甲羅干ししてたり、大蛇も本当にスレスレなんだよね。運河は狭いからね、船が通っていくのに。手が届くって距離ではないけど、近くで大蛇が下がっていたり。今はビックリしないけど、当時、本当に見るものがすべてがアレ(衝撃)だったしね。

※中略

――猪木さんはプロレスラーになってからの50年間だけでなく、それ以前のブラジル時代のことも鮮明に記憶しているのですね。

猪木「まぁ、聞かれればね。あんまり普段は過去を振り返られないっていうキャッチフレーズで前へ進んでますから(笑)。ただ、そこにはベースがきちっとあるからね。だから経験に学ぶことっていうか」

――そんなブラジルで力道山先生にスカウトされて、プロレス入りしたわけですが、50年の中でもその出会いはやはり大きいものですよね?

猪木「それはもう絶対ですね、力道山っていうのは。それと力道山って人の生い立ちっていうのが、そこに加わってくるわけですね、あとから。そういう我々が知らない部分だった人種的なものとか。偶然にもスポーツ平和党というものから政治に出たんですけど、そのあとに力道山のそういう実話とかを知るんだけど」

※中略

――ちなみに力道山先生と会われた時に、猪木さんはプロレスを知っていましたか?

猪木「知ってました。日本を出る前にテレビでやってましたからね。オレがブラジルに出たのは1957年ですから」

――そもそもプロレスにあこがれみたいな気持ちは会ったのですか?

猪木「それはあこがれてましたね。当時はほとんどの日本人が(プロレスに)興奮してましたから」

――ブラジルで力道山先生は、猪木さんを探し当ててスカウトに来たのですか?

猪木「スカウトに来たわけじゃないんだけどね。興行で来てた時にたまたまオレの話が新聞社から上がったんでしょうね。で、そこで出会えたんですけど。だから、偶然に出会えたというか。いや、偶然じゃない。必然というか。オレにとってはね」

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