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2022-12-12

安田忠夫が大遅刻という緊急事態に唯一の60分フルタイムタッグ戦…新日本プロレス歴史街道50年(56)【週刊プロレス】

激闘を繰り広げた蝶野正洋&天山広吉vs西村修&中西学

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旗揚げ以来50年の歴史の中で、60分フルタイムは過去10試合。うち半数の5試合が昭和で残り5試合が平成の時代に記録しているが。唯一となるのが2002年6月5日、大阪府立体育会館でおこなわれた一戦だ。

残り9試合がいずれもシングルマッチだったのに対し、この一戦だけはタッグマッチ。もともと新日本はシングルマッチのイメージが強く、逆にタッグマッチは世界オープンタッグ選手権で大成功を収めたこともあって全日本のお家芸という印象。そんななかで残された新日本唯一の60分フルタイムタッグマッチ。それは単に「激闘で勝負がつかず」というものではなかった。

2002年といえば、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンらが退団した年。恒例の札幌雪まつり決戦ではリング上で“猪木問答”がおこなわれ、その後、永島勝司専務取締役が解任され、長州力も5月31日付で退団した。

当時の新日本はK-1や総合格闘技の勢いに押され、またアントニオ猪木の介入で直前になってのカード変更が常態化。迷走していた時期の中で蝶野正洋や第三世代を中心とした現場は、「プロレスの底力を見せてやろう」と一丸となっていた。


「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア9」最終戦として開催された同年6月5日の大阪府立体育会館大会。メインではリーグ戦を勝ち上がってきた金本浩二vs田中稔が優勝を懸けて闘う。ちなみに当時の田中はIWGPジュニアヘビー級王者。金本は蝶野率いるTEAM2000に属していた。

セミファイナルでは復活して王者となった蝶野正洋&天山広吉組に西村修&中西学組が挑戦するIWGPタッグ選手権戦が組まれていた。ところが、セミファイナル前に組まれていたシングルマッチに出場するはずの安田忠夫がまだ会場に到着していないことが場内に告げられた。リングに上がっていた対戦相手である佐々木健介も困惑の表情。

当時の安田は、前年の大みそかにジェロム・レ・バンナを破る大番狂わせを記録して一躍、新日本でも中心に躍り出た時期。しかしその一方で、遅刻の常習犯としてトラブルを繰り返していた。猪木事務所預かりの身でもあって、新日本ではコントロールできなくなっていた。

ほかの選手が会場入りしてウォームアップを始めても安田の姿は見当たらない。念のために連絡したところ、まだ東京の自宅にいることが判明。安田自身は、どうせ間に合わないんだからこのまま欠場でいいと決め込んでいた。

だが健介との一戦はIWGPヘビー級王座への次期挑戦権をめぐる闘いとの意味合いもあり、安田の不戦敗で終わらせるわけにもいかない。「今からでもいいから会場に来い!」と命じて到着を待ったが、セミ前の試合開始時間前までには間に合っていなかった。そこで急きょ、IWGPタッグ戦を先におこなう措置をとった。

試合中にまだ安田が到着せず、さらにメインのスーパージュニア優勝決定戦を先におこなう事態を避けるべく、タッグ戦はロングマッチに。中西も持ち前の野人パワーを大爆発させたが、ジャーマンを放ったところで脚を負傷。戦闘不能となり控室に消えていった。

そのままあっさり試合は終わってしまうかと思われたが、西村が孤軍奮闘。試合中にシューズを脱ぎ捨て、裸足になって蝶天コンビの猛攻に耐え抜くだけでなく、足4の字でギブアップを迫るシーンも見せつけた。

50分が経過しようとしたところで、右ヒザをテーピングで固定した中西がカムバック。ジャンピング・ニーが天山の顔面にまともにヒットして、鼻骨を骨折させるアクシデントを引き起こし、そのまま時間切れのゴングが打ち鳴らされた。まさに痛み分けの表現にふさわしい激闘だった。

試合途中で安田は到着していたが、そこで試合を終わらせず60分を闘い抜いたのは4選手の意地。ただ蝶野は「どっちかといったら、福岡で永田と60分闘った方ばかり印象に残ってる」と、この一戦はあまり覚えていないという。

タッグマッチでは新日本唯一の60分フルタイムと聞いても、「そうなんだ。あんまり覚えてない。まあ西村のスタイルなら長時間のファイトもできるよね。その試合、天山が50分ぐらい試合してるんじゃない? だからかな?」とピンとこない様子。「あの当時、第三世代に60分フルタイムを体験させたかった。オレも体験してなかったし」と振り返った。

橋爪哲也

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