令和元年の夏は酷暑でした。
「オレ、もう切れた」という人も多かったんじゃないでしょうか。
ところで、この切れるのは、とても大切なことなんです。
中には、切れて暴走する人もいますが、こんなことをしている自分にガマンできない、なんとかしないと、という強烈な発奮の現れでもありますから。
切れることは飛躍の原点、成長の秘密でもあります。
ギリギリの勝負をしている力士たちもよく切れます。
こうすることで失敗や挫折を乗り越え、人間的にも大きくなっていくんですね。
そんな力士たちの切れた話を紹介しましょう。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。
新横綱場所で9勝出世し、やっとたどりついた最初の場所、というのは誰でもいいスタートを切りたいと願っている。まして力士の頂点、横綱ともなると。
平成24(2012)年九州場所、日馬富士は2場所連続の全勝優勝というこれ以上はない成績を挙げて横綱に昇進した。体力面ではちょっと心配もされたが、この勢いなら横綱としてもきっと立派にやってくれる、と誰もが期待し、日馬富士もまた、自信満々だった。
ところが、その横綱になって最初の場所、日馬富士は終盤、なんと5連敗を喫し、9勝6敗に終わった。二ケタにも届かなかったのだ。
この思いがけない惨敗にそれまでくすぶっていた不安や不満がいっせいに噴出した。袋叩き状態に陥ったのだ。千秋楽翌日の横審も批判論一色で、鶴田卓彦委員長は、
「これは(横綱に)推薦した方の責任かもしれないが、二ケタの勝ち星が得られないのは、横綱としての資格がないということだ」
とこき下ろしている。
これには、ただでさえ気の強い日馬富士もプッツンと切れた。ようし、見ておれ、やってやろうじゃないか、と開き直ったのだ。
こうして迎えた次の平成25年初場所の初日、朝稽古を終え、風呂に入って気分を整えた日馬富士は、付け人が用意した真新しいパンツを見て動きを止めた。それは、大事な雪辱の門出だから、気分だけでも華やかに、という付け人の思いがこもったピンク色のパンツだった。しかし、日馬富士は、なにか自分の気持ちにそぐわないような気がし、
「ほかに違うのはないのか」
と首を横に振り、付け人があわてて持っていた黒色のパンツに足を通した。白黒を競う力士には不具合な色に見えたが、日馬富士はそれがいまの自分に合っているように見えたのだ。
いや、パンツだけではない。この日、日馬富士は、締め込みも、化粧廻しも、土俵入りで使用する太刀までも一新した。締め込みはパンツと同じ黒色だった。
こうして土俵に上がった日馬富士は、この場所、まるで綱取りに挑んだ前年の名古屋場所、秋場所をほうふつさせるような気迫あふれる相撲で連戦連勝。千秋楽には白鵬(元横綱、現宮城野親方)も寄り切ってみごと全勝優勝を飾り、こう言って胸を張った。
「ボクはまだ横綱2場所目。これからです」
月刊『相撲』令和元年9月号掲載