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2023-04-11

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第15回「当てが外れた話」その3

平成6年初場所千秋楽の貴ノ花―武蔵丸戦。立ち合いから馬力の武蔵丸が圧勝したかに見えたが、武蔵丸に勇み足(右足)があり、勝利は貴ノ花のものとなった

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世の中、なかなか自分の思うようにことは運びません。
あなたにもきっと1つや2つ、いや、中には数えきれないぐらい計算が狂い、当てが外れて、悔しい思いをしたことがあったはずです。
まして勝負の世界は思ったようにはいかず、切歯扼腕して当たり前とも言えるでしょう。
それでも、それに懲りず、さらに努力を重ねることが成功の秘訣でもあります。
そんな当てが外れて天を仰ぎ、地団太踏んだ話を集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

逃した大魚
 
逃がした魚は大きいものと決まっているが、大相撲史上、こんなかたちで文字通り大魚を逸した力士はそうはいない。

平成6(1994)年初場所千秋楽、1敗の大関貴ノ花(のち貴乃花)をどちらも関脇の武蔵丸と貴ノ浪の2人が1差の2敗で追いかける展開で、結び前に貴ノ花と武蔵丸が直接対決した。

貴ノ花が勝てば、スンナリ逃げ切って4場所ぶり4度目の優勝が決まり、負ければ、すでに寺尾を破って12勝目を挙げていた貴ノ浪と、貴ノ花、武蔵丸の3人による優勝決定戦にもつれこむというなんとも悩ましい大一番だった。

先手を取ったのは武蔵丸。突っ張って左四つ、さらに左から掬って土俵際に追い詰め、寄り倒そうとするところを貴ノ花が横倒しになりながら下手投げを打った。その瞬間、武蔵丸の右足が土俵の外に大きく飛び出したのだ。痛恨の勇み足だ。

物言いがつき、大歓声の中、5分間も協議したが、軍配は覆らず、貴ノ花の勝ちが確定した。

この場所から優勝賞金が1000万円にアップしたばかりで、まさに1000万円の勇み足だった。当時、まだ日本語がよくわからず、「わかんないしゅー」と言っては下唇を舐めるのが癖で、リップクリームを1年中、手離せなかった武蔵丸はまるで狐に鼻をつままれたような顔で引き揚げてくると、

「勝ったと思った。なんで負けたのか、よくわからない。足が飛び出した? 全然わからなかった」

と立ち尽くしていた。ただ、自分が負けたことはよくわかっていたようで、その夜はフトンにくるまって泣いていたという。

武蔵丸がこの悔し涙をうれし涙に変えたのは3場所後の平成6年名古屋場所のことだった。千秋楽、まるで3場所前の勇み足のうっ憤を晴らすように貴ノ花を左からの下手投げで裏返しに叩きつけて初めての優勝を全勝で飾ったのだ。優勝パレードの真っ最中、突然の大雨で旗手の武双山とともに頭からズブ濡れになった武蔵丸は、こう言って大笑いした。

「うれし涙が雨で消えてちょうど良かったよ」

月刊『相撲』平成24年1月号掲載

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