春、3月は卒業の月。
「仰げば尊し、我が師の恩」という歌が反射的に思い出されます。
師というのは、どんな世界にあっても尊く、ありがたいもの。
大相撲会でも決して例外ではありません。
師匠の弟子に対する思いがいかに熱く、深いか。
それを物語るエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
貫かれた真っ向勝負 相撲も勝負事だから、浮き沈みはつきもの。
平成21(2009)年夏場所、2場所続けて二ケタの10勝を挙げ、敢闘賞を連続受賞して東前頭筆頭の豊真将(現立田川親方)は、一転して序盤から連敗の底なし沼に転げ落ち、もがき苦しんだ。9日目、8連敗同士の豪風(現押尾川親方)との“最弱決定戦”でも押し出され、12日目の栃煌山(現清見潟親方)戦も一方的に寄り切られて、
「気持ちの切り替えは、できているんですけど」
と天を仰いだ。
そして、この日負ければ平成3年名古屋場所の板井以来の不名誉な幕内全敗となる千秋楽、嘉風(現中村親方)の強烈な張り手攻撃にも怯まず、我慢の末に寄り切り、ようやく待望の初白星を挙げた。持ち味のケレン味のない、真っ向微塵の相撲で、大きな拍手を背に支度部屋に戻ってきた豊真将は、
「1勝もしていなかったのにこんなに応援してもらって。自分の不甲斐なさ、悔しさを改めて感じました」
と大粒の涙をこぼした。
負けてなく力士はときどき見かけるが、勝って泣く力士は、優勝力士を別にすれば滅多にいない。この豊真将の涙をさらに値打ちあるものにしたのが師匠の錣山親方(元関脇寺尾)の涙だった。愛弟子の勝ち相撲をしっかり見届けた錣山親方は、
「こんだけ負けると、目先の勝ち星を欲しがって立ち合いに変わったりするもの。オレなら変わっていた。でも、アイツは最後まで真っ向勝負にこだわった。これはもうアイツの信念でしょう。いや、我が弟子ながらいいものを見せてもらいました」
と目を真っ赤にしてしばたかせたのだ。
この師匠にしてあの弟子あり。だから、弟子は頑張れるんですね。
月刊『相撲』平成24年3月号掲載