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2023-07-04

「プロレスって、一生はできないから――」東京女子プロレスの初期メン・辰巳リカの現在地【週刊プロレス】

今年に入り東京女子プロレスでは5人の新人がデビューを果たした。中でも3・18有明コロシアムにて初舞台を踏んだ大久保琉那は、その時点で中学2年の14歳。十代で自分が輝ける場を求め、フツーの女の子たちがヒロインを目指し集まってくる団体となっている。

 小さなライブハウスにマットを敷いて試合をおこなっていた旗揚げ紀元前を知る者は、こうした変化によって団体の成長を実感するのだろう。それはプレイヤーも同様で、7・8大田区総合体育館にて愛野ユキの挑戦を受け、インターナショナル・プリンセス王座4度目の防衛戦に臨む辰巳リカもその一人だ。

“古株”という言い方は語弊があるかもしれないが、現所属選手の中では山下実優、中島翔子、坂崎ユカに次いで4番目のキャリア組となる。自分がデビューした当時(2014年)を思うと、今の東京女子は「学校における一クラス」と映っているらしい。

 あの頃は、メンバーが少なかったので常に全員で練習し、試合後はみんなでご飯を食べにいった。それが今では世代もまるで違うし、人数が増えたことから道場の使用も時間で区切られている。

「そういう変化によって、団体として大きくなったんだなって思うんですよね。30人ぐらいって、ちょうど一つのクラスの中にいくつか仲良しグループがあるような感覚で。いつも一緒じゃないと全部は把握できないっていうのが、学生の頃にもあったじゃないですか。

 私は、人が増えるのが嬉しいんです。新しい子が入ってこなかったら、やっぱり受け継がれない。私はプロレスって、一生はできないものだと思っているので…東京女子がずっと続いていくには、新しい子たちが入ってこないと不可能ですから」

 デビューから9年半の辰巳は、ベルトを巻いて脂が乗り切ったこの段階で折り返し地点を過ぎていると自覚しており、ゆえに初期メンが中心となって礎を築いてきたこの団体が未来永劫続いていくには後輩たちへどうつなぐかを考えるようになった。それもあって自身が保持するベルトに愛野と遠藤有栖の2人が意識を向けてきたのは、我が意を得たりと言えた。

「海外に出るよりも日本から、東京女子のリングから広げたい」といの思いは、遠藤との挑戦者決定戦を制し大田区へ駒を進めてきた愛野と奇しくも同じだった。山下や坂崎、伊藤麻希のように海を渡ることでTJPWの名を知らしめるやり方と真逆の方向性そのものが、個性につながる。

 思い返すと、辰巳にとっては「人と違うこと」を模索し続けた9年半だったという。全員がゼロからのスタートだから、はじめは基本中の基本であるドロップキックを誰もが試合で出していた。

 その中で「私はやらない!」と課し、代わりの技は何かと考えて体得したのが現在も代名詞的技であるヒップアタックだった。もっとも、他者の逆張りばかりしていたら肝心の自分自身を見失ってしまう。その狭間で難しさを痛感しながら、個性へと昇華させていった。

「難しいですよね、オリジナリティーって。人と違うものだと思ってやっているつもりでも、そんなのなかなかないものじゃないですか。わかってはいるけどそういう考えのまま来て、こんなにプロレスを続けられている。

 本当はそんな大袈裟には言いたくないんですけど、けっこう奇跡だと思います。何も考えないでこの世界に飛び込んだ感じだったので、そんなに長く続けるとは思っていなかった。それを思うと…」

 音楽活動をする中でDDTを見て、やってみたくなった辰巳は当初、1年ぐらい頑張れたらいいか程度の考えでプロレスがなんたるかもわかっていなかったと振り返る。ところがいざリングに上がったら、それまでやってきた表現活動のどれよりもハマった。

 のめり込むうち、プロレスの力にやられてしまった辰巳。これほど続けてこられた一番の理由は、それまで通ってきた道と違い「やめたいと思わなかったから」と、実に明快だ。

 マッチ箱のように小さかった団体は、辰巳が望んだ通り単独で両国国技館へ進出し、大会場での興行もコンスタントに開催できるところまできた。それでも本人はあの時、自分を支えた強い思いが成就までいたったとは受け取っていない。

「今年の2月、武藤(敬司)さんの引退試合で東京ドームへ提供試合として出させていただいて、東京女子よかったねという声もいただいたんですけど、個人的には悔しさしか残らなかった。全然、自分をアピールできなかったし、ドームという広さの難しさも感じさせられて。それで、どうしても東京女子としてここでやりたい!って思ってしまったんです」

 そうした野望を秘めているからこそ、辰巳は前を向き続ける。前述した通り、潤沢に時間が残されているわけではないことを、自身がよくわかっている。

 入門前から同じ空間を共有してきた坂崎が東京女子を卒業するのも、タイミングというものと向き合う意味で大きな影響を受けた。彼女の中で“世界”の二文字に対する思いが強いのは、当時からなんとなく感じていた。

「その頃、ユカちゃんは『イッテQ!』のイモトさんにあこがれていて、同じように世界中を飛び回りたい夢を持っているって聞いたことがあったんです。だから、プロレスを通じてそうしたいのかなとはずっと思っていたので(卒業を)聞いた時は、ついにその時が来てしまったんだなって。

 ユカちゃんの中には東京女子を離れたくないっていう気持ちもあるんだと思うんです。ただ、10年というきっかけが卒業する後押しになって決めたんじゃないかって感じていて。半年ぐらいしかデビュー時期が違わない赤井沙希さんも10年でやめると聞いて、考えさせられました」

 一生続けることはあり得ないのがプロレス。それがわかっているから坂崎や赤井の選択を目の当たりにし、より現実感に全身を包み込まれる。

 そこで出したのは「もう、やり切ってハッピーになって、みんなで笑って終わる。ちゃんとその夢に近づかなきゃ」だった。東京女子を世界中の人たちに知られるぐらい大きくすること、東京ドームへのリベンジ…さらにもう一つの野望については7・8大田区大会で販売される公式パンフレットで語っているので、当日確認していただきたい。それが辰巳リカの現在地――。     (鈴木健.txt)

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