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2023-07-28

【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第11回「ゼロ」その1

平成19年初場所初日前日、2枚の優勝額の前でポーズを取る朝青龍。28年初場所前に朝青龍の優勝額は国技館から姿を消した

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ものの始めは1ですね。1から出直す。いいじゃ、ありませんか。
でも、その1より下がゼロ。ゼロからスタートを切る。
いかにもまっさらなところからものごとを始めるという気迫が感じられるじゃありませんか。
それはともかく、大相撲界にもゼロに関連するエピソードが幾つも転がっています。
今回は、そのゼロにまつわるエピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

ついにゼロに…

勝負の世界は、まさに栄枯盛衰。驕れる者もいつかは勢いが衰え、消滅していく運命にある。未来永劫、栄えた者などない。ましてや、力がものを言う土俵の上においてをや、だ。
 
平成の中盤、並ぶ者なき勢いを誇ったのが朝青龍だった。16(2004)年から17年にかけて史上最多の7連覇を達成。17年には、その後、白鵬に塗り替えられてしまったが、これまた史上最多の年間84勝を記録した。優勝回数も史上4位の25回を数え、両国国技館の天井にはいかにも誇らし気な顔をした優勝額が、正面にも、向正面にも、西にも、東にも掲げられていた。
 
その朝青龍が暴行事件を引き起こし、突如、大相撲界を去ったのは平成22年初場所後。それから6年後の平成28年初場所初日前日、朝青龍の平成22年初場所の最後の優勝額が天井から取り外され、ついにゼロになった。
 
ときの波は容赦なく流れ去り、あれほど栄華を誇った朝青龍の栄光も両国国技館からすっかり消えたのだ。この撤去作業を誰よりも感慨深げに見守ったのは、同じモンゴル出身で、ライバルとして激しく覇を競った白鵬だった。

「ともにライバルとして汗を流してやってきましたからね。一つの時代が終わり、新しい時代が始まる。そんな気がします」
 
としみじみ話していた。
 
その白鵬も、令和2年初場所も4日目から休場するなど、明らかに晩年を迎えていた。優勝回数は断トツの43回(当時)。両国国技館の天井をところ狭しと飾っている優勝額も、いつかはゼロになる日がやってくる。そのとき、誰が、どんな思いを口にするか。興味深い。

月刊『相撲』令和2年2月号掲載

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