close

2023-07-30

G1連覇の蝶野正洋が巻いたNWA世界ヘビー級ベルトはWCWとリック・フレアー確執の副産物【週刊プロレス】

NWA世界ヘビー級ベルトを掲げる蝶野正洋

1991年、初開催となった「G1クライマックス」は闘魂三銃士が“表彰台”を独占して大きな話題を振りまいた。興行的にも大成功を収めたことで、翌1992年にも同時期に第2回を開催、前年の名古屋大会は「サマーナイト・フィーバー」、両国3連戦は「バイオレント・ストーム」の大会名で、「G1」はリーグ戦に冠されたサブタイトル。第2回から正式にシリーズ名が「G1クライマックス」となった。この年の目玉はWCWとの全面対抗戦で、全16選手参加によるトーナメント。海外での実績から本命は武藤敬司と見られていたが、優勝を飾ったのは前年に続いて蝶野正洋。いきなりのリーグ戦2連覇は、「ワールド大リーグ戦」の力道山、「チャンピオン・カーニバル」のジャイアント馬場、「ワールドリーグ戦」のアントニオ猪木に次ぐ史上4人目の記録だった。

1985年10月、WWF(現WWE)との業務提携を解消してからの新日本は外国人ルートに苦戦。テキサス州ダラスのエリック王国との提携やソ連レッドブル軍団のプロ転向など独自ルートで外国人レスラーを招へい。ビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートンを外国人エースに育てる一方で、日本人対決を主流にしてきたが、カードのマンネリ化は否めなかった。

その問題を解消すべく、1990年12月、新日本プロレスは米2大団体の一つWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)と提携を結んだと発表。翌1991年3月21日には、WCWとの対抗戦をテーマに3度目の東京ドーム大会が開催され、リック・フレアー、スティング、ブッチ・リード、ロン・シモンズ、バリー・ウインダム、アーン・アンダーソン、エル・ヒガンテといった主力が新日本初登場を果たし、WCWスタイルを導入する形で立体花道が設置された。

初の1・4開催となった翌1992年の東京ドーム大会でも、闘魂三銃士はWCWの刺客を迎え撃つカードが組まれた。そしてWCWとのシングル全面対抗戦をテーマに開催されたのが、第2回「G1クライマックス」だった。

スティング、レックス・ルガーといった主力こそ参加しなかったものの、WCWからは7選手がエントリー。新日本サイドも長州力、藤波辰爾は参加せず、次代を担う16選手によるトーナメントで覇が争われた。結果は決勝でリック・ルードを破った蝶野が2連覇。副賞として復活NWA世界ヘビー級王座に就いた。その一方で当時、WCWは世代交代を推し進めていて、フレアーはその方針に反発、1991年9月、WWF(当時)に移籍した。

フレアーはベルトを巻いてWWFのリングに登場したが、WCWはそれに反発する形でNWA世界王座を復活させ、WCW所属レスラーも大挙出場する「G1クライマックス」を王座決定トーナメントの舞台に据え、“フレアーモデル”といわれる黄金のベルトが懸けられた。

1999年、小川直也がダン・スバーンから奪取したころは米インディーズの王座と化していた同王座だが、90年代初頭にWCWが管理していたころは、わずかながらまだかつての威光を放っていた。新日本にとっては大きな提携プレゼントとなった“世界最高峰”のベルトだったが、WCWとフレアーとの確執が生んだ副産物でもあった。

橋爪哲也

送料無料通販!

新日本プロレス50年物語第2巻 平成繁栄期 | 週刊プロレス powered by BASE

四六判並製/320ページ『新日本プロレス50年物語』シリーズとは?新日本プロレス50年の壮大な歴史を3つの時期に分け、それぞれの時代をよく知る3人の筆者が三者三様の視点から出来事の背景やドラマを掘り下げる。歴史を読む!全3巻。『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期』の内容は?東京ドーム初進出の1989年(平成元年)から暗黒期・模索期の2008年(平成20年)まで。『東京スポーツ』紙で1990年代~2000年代初頭にかけて新日本担当記者として巡業に帯同し、さまざまな出来事を目撃・取材してきた筆者が、当時の取材メモを片手に、平成新時代の新日本の繁栄ぶりと転落の背景を記す。各年ごとの「解説」と、各年をより深く理解するための「キーワード集&こぼれ話」の2つのコーナーを通じて、平成新日本の豊富すぎる話題の数々にスポットを当てる。【第2巻のもくじ】1章 ドーム、G1、「1・4」!(1989年~1992年)・1989年(平成元年):プロレス界前人未到の領域「東京ドーム」ならではの苦労・1990年(平成2年):全日本との歴史的対抗戦のみならず歴史的名言の数々も生んだ「2・10東京ドーム」伝説・1991年(平成3年)「G1 CLIMAX」が初開催と同時に一大ブランド化! ・1992年(平成4年):心配の声をよそに、「1月4日」の東京ドーム開催に踏み切る! 2章 平成新日本らしさ、爆発!(1993年~1996年)・1993年(平成5年):東京ドーム、福岡ドーム、G1、両国7連戦…平成新日本らしさが満開! ・1994年(平成6年):天龍に敗れた猪木が、「引退」への一足を踏み出す・1995年(平成7年):UWFインターとの対抗戦が、窮地の新日本を救った!・1996年(平成8年)IWGPヘビー級王座がUWFインターに流出! 橋本、武藤、蝶野それぞれの戦い3章 さらば、「平和と繁栄の90年代」(1997年~2000年)・1997年(平成9年):蝶野&武藤の「nWo路線」と小川&猪木の「プロ格闘技路線」が並走・1998年(平成10年):猪木引退! 平和な90年代は終わり、混迷の時代が始まった・1999年(平成11年):小川〝暴走事件″の混乱と〝劇薬・大仁田″の副反応 ・2000年(平成12年):全日本、UFO、橋本…との複雑な関係の中で4章 混乱・混とん、ここに極まれり!(2001年~2004年)・2001年(平成13年):武藤が全日本のマットで大活躍! ボーダーレスに活躍する選手が続出・2002年(平成14年):武藤、長州、健介…平成黄金時代を支えた人材が続々と団体を去る! ・2003年(平成15年):プロレス路線、格闘技路線、IWGP王座、NWF王座…価値観が乱立する混とん状態・2004年(平成16年):強権発動の猪木、出戻りの長州が新日本マットを蹂躙!第5章 ユークス新日本、再建の時は来た!(2005年~2008年)・2005年(平成17年):猪木がユークスに持ち株を売却! 〝猪木新日本″が終焉・2006年(平成18年):退団者が続出! 藤波の退団は業界外にも大きな衝撃を与える・2007年(平成19年):ユークス新体制下、「無理に背伸びしない団体」に転換・2008年(平成20年):中邑がIWGPヘビー級ベルト騒動をきっちりと鎮火!

shupuro.base.shop

加入月0円! 週プロmobileプレミアムならバックナンバー1600冊から最新号まで読み放題!!

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事