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2023-09-15

北尾光司が引退を決意した理由を推測、さらに総合格闘技進出の裏話…初の著書の中で望月成晃が綴る【週刊プロレス】

北尾光司からPRIDEのリングで「武輝の刀」を受け取る望月成晃

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現在DRAGONGATEで活躍している望月成晃が、9月6日に現在では世にも稀な同時現役親子レスラーとして話題を振りまく中で初の自伝「親子でプロレスをやる覚悟。」を発売。その中にはプロレスラーとしてデビューするきっかけとなった北尾光司とのエピソードも多数収録されている。望月から見た北尾はどんな人物だったのか? また北尾の引退、死去を聞いた時の思いとは?

望月のデビュー戦は1994年1月21日。北尾道場の東京・後楽園ホール大会で、のちのタズこと、ピート・タンジーロと対戦した。その後は、運転手兼付き人として北尾と時間を共にすることが多くなる。

「プロレスができる」との思いで引き受けた仕事ではあったが、なかなか仕事ができないことへのストレスは溜まる一方。それでも1995年の後半あたりからは北尾と共に準レギュラーとしてWARに出場。「天龍源一郎の痛みの伝わるプロレス」も体感することとなる。デビュー2年目の頃だった。

キャリアも4年を迎えた頃に聞かれたのが北尾からの引退の言葉。当時参戦していたWARも興行数が縮小されていた頃であり、試合がなくなるのではないかという不安にも襲われた。北尾本人から特に引退理由を聞かされないまま、なぜか東京ドームのPRIDEのリングで「武輝の刀」を受け取るというシーンも生まれた。

このように北尾はPRIDEやUFCにも出陣。だが、思うような結果を出すことができず、プロレスラーとしての活躍の場も少なくなっていった。その時の北尾の心情を望月はこう推察する。

「北尾さん自身もプロレス界が性格的に向いてなかったのかもしれないけども、それでも天龍さんや冬木(弘道)さんとの試合でプロレスラーとして価値を見いだしていた頃。北尾さんも周りからの『元横綱が負けないでしょ』の言葉に煽られ何試合か総合格闘技の試合に出ましたが、側から見てたら『担がれて』感が否めなかった」

結果的に北尾が引退してからは一度も会うことはなかった。そんな中、2019年3月に訃報の知らせが届く。初参戦のNOAH後楽園大会の控室でのことだった。その日、北尾に関する取材をマスコミから受けることとなり、後日、武輝時代の後輩と一緒に北尾の墓参りへ。プロレスラーとして活動していることなどを墓前で報告した。

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