現在DRAGONGATEで活躍している望月成晃は超異色の経歴を持っている。社会人になったものの、夢をあきらめきれずに空手を習い始め、ひょんなことから北尾光司の付き人となり、プロレスラーとしてデビュー。新日本を始めさまざまな団体で活躍し、たどり着いた闘龍門(DRAGONGATE)でエース格のトップ選手となった。そして、現在は世にも稀な同時現役親子レスラーとして話題を振りまく中で初の自伝「親子でプロレスをやる覚悟。」を9月6日に発売する。
望月の人生で一大転機となったのが、1992年10月23日、UWFインターナショナル東京・日本武道館大会における髙田延彦vs北尾光司の格闘技世界一決定戦。UWFに憧れを抱いてプロレスラーを目指していた時期もあるが、身長180㎝以下は入門できないと前田日明がインタビューで語っているのを目にして断念。高校卒業後はホテルマンやトラック運転手に就職した後も、プロレスファンとしてUWF系団体を中心に観戦を続けていた。
望月は相撲も好きで1990年2月10日、新日本プロレス東京ドーム大会における北尾のデビュー戦も現地観戦。その後のSWSでのトラブルも知っていたが、1992年5月8日のUWFインターナショナル横浜アリーナ大会における山崎一夫戦で圧倒的な強さを見せたことによって、髙田戦はファンとして大注目の一戦だった。
その一戦を見た衝撃を望月はこんな言葉でつづっている。
「結果はみなさんご存知の通り、髙田さんの衝撃のハイキックによるKO勝ち。涙を流しながら『タカダ』コールをしました。こうなったら、もういても立ってもいられません。現状、プロレスラーになるのが難しいなら、格闘技をやればいい。まだ総合格闘技が生まれる前の話です。『あんなハイキックが打てるようになりたい』と空手をやることにしました」
望月はたまたま職場の近くにあった添野義二館長が設立した「士道館」東京本部に入門。週6回という超ハイペースで練習に励んだ。出席率の高さで館長に顔を覚えられて、しばらくするとなんと1994年1月21日、北尾道場東京・後楽園ホール大会でのプロレスデビューが告げられる。デビューまでは北尾と一緒に道場で練習。こうして、超異色の経歴を持つプロレスラーが誕生したのだった。
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