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2023-09-29

「キックボクシングプロレスラー」道の開拓者。前口太尊が研究する幸せになってもらうための闘い

格闘技と縁もゆかりもない大家健が代表の団体でありながら、ガンバレ☆プロレスは“その筋”の選手たちが一人またひとりと集まってくる不思議な磁場となっている。10・1新宿FACEでおこなわれるスピリット・オブ・ガンバレ世界タッグ選手権試合は、そうした4人が一堂に会すタイトルマッチだ。

 王者組の勝村周一朗は第6代修斗世界フェザー級王者、和田拓也は第4代ウェルター級キング・オブ・パンクラスとしていずれも総合で実績を残し、挑戦者組の佐藤光留はパンクラスMISSIONに所属しプロレスと格闘技をまたにかけて活動。パートナーの前口太尊はキックボクシングのJ-NETWORK、RISE、KNOCKOUTで活躍したダイナマイトパンチャー。

 いわゆる“U系”ではないガンプロにおいて、なぜこの4人が集ったのか。それは勝村、和田、前口の3人がいずれも光留に導かれる形でハードヒットへ参戦し “こっち側”に足を踏み入れた経緯による。

 4人の中で勝村は2017年よりガンプロへ参戦し、2019年1月に所属となった。光留と前口は今年5月に新設されたSOG世界タッグ初代王者決定トーナメントで優勝。

 この変態パンチドランカーズに挑戦するべく勝村が選んだパートナー、それがアマチュア時代から同じジムで苦楽をともにした和田だった。10・1新宿のタイトルマッチは、王座の移動があった7・9大田区総合体育館大会の再戦となる。

 初代王者組のドランカーズは、発注ベルトが間に合わず一度も腰に巻かぬうち王座から転落している。「今思うと、あの初代王者期間はなんだったのか…まあ、俺たちらしいっちゃあらしいんですけど」と、前口は苦笑する。

 2021年7月22日、前口は34歳でキックボクシングを引退した。まだやれるのではという年齢であったが「トップでい続けることができなくなったらやめる」と決めていたので、そこは潔かった。

 引退後はジムを開きたいと思っていたのが、いざやめると「それもありきたりだしなあ…」と引っかかった。キックが嫌いになったわけではないし、プレイヤーでなくなってもトレーニングは好きなままだった。そんな中、4年前に光留から誘われ出場したハードヒットで味わった体験が蘇ってきた。

「青木篤志さん(全日本プロレス)とのエキシビションをやらせていただいた時、こういうのって面白いなと思えたんです。キックをやる人間の考えは、やっぱり“勝てばいい”になってしまう。でもあの時の客席の盛り上がり方が、キックとは違っていたのが新鮮だった。

 プロレスラーは自分の信念を持ってキャラクターを貫き通そうとする。そういう姿を見て、ここに自分の持っているものを融合させたら絶対に面白くなるなって思ったんです」

 もう一人、前口に多大なる影響を及ぼしたプロレスラーが飯伏幸太だ。プロレス界には「四ツ谷コネクション」とも呼ぶべきクリックがある。

 自身もプロレスラーである下東由朋が経営する店には、多くの選手たちが集まりコミュニティが形成され、東京愚連隊興行の打ち上げ時には数々の伝説が生まれた。飯伏が観戦したKNOCKOUTへ前口が出場しており、2人は意気投合。

 中学の頃に見ていたものの、K-1にハマった以後プロレスは生活圏から外れていた前口。20年ほどの空白期間を置いて見たのが飯伏とあれば、驚がくするのも当然だった。

「こんなことできねえよ!って思う一方、飯伏さんから受けた影響もあってやったのが、路上キックボクシングだったんです」

 2017年7月23日、プロレス&格闘技書籍のメッカである書泉グランデで前口は、小笠原瑛作とのエキシビションマッチでキックの試合を敢行。思えば日本における路上プロレスを開拓し、高木三四郎から“路上王”の称号を贈られた飯伏も、最初の一戦は本屋だった(中井の伊野尾書店)。

 無料イベントではあったが、100人近くの観客が集まり、目の前で繰り広げられる打撃戦に異様なまでの盛り上がりを見せた。この時に味わった快感も相まって「こういう方向性でいったら俺は最先端」という自信が湧いてきた。

 プロレスラーになる多くの者たちは、もともとファンだったケースが多い。それに対し前口は、大人になった時点でも自発的にこの道を選んだわけではない。

 にもかかわらず、四ツ谷で人脈ができ、ハードヒットに誘われ、キック引退から1ヵ月後には佐藤光留主宰「真夏の変態祭り」でそのタッグパートナーとしてプロレスのリングに上がり、青柳亮生&本田竜輝と“デビュー戦”をやっていた。

 これと前後し、前口は下東に次いで「飯伏プロレス研究所」所属となった。現在は梶トマトや菊タローも名を連ねるなど、研究員も増えてきた。

「親交が深まる中で一緒に練習をするようになって、飯伏さんってすごくトレーニングの知識があるんですよ。三十代後半になると運動能力も下がってくるものじゃないですか。だけど飯伏さんは『36、37ぐらいでも、ガンガン動けて進化できる』って言うんです。そういう自分の知らない部分を教われたし、プロレス以外も会話をするだけで雑学が得られる。

 今でも研究所の秘密基地(道場)には6、7時間いる時もあります。月に1回ぐらい研究員が集まって活動報告をして…最近、研究員増えていますけど、飯伏さんが認める人で『いいよ』って言ったら入れる感じですね。誰でも入れるわけではないので」

 そんな前口がガンプロに参戦するきっかけを作ったのも四ツ谷つながり。DDTの彰人は東京愚連隊興行へ一般客として見に来ており、当然下東の店の常連でもあった。

「変態祭りに出たあと、彰人さんに電話で相談したんです。そこでは『前口さん、まだ1回しかプロレスの試合に出ていないですよね? たぶん、高木(三四郎)社長は前口さんのことを知らないと思いますよ。とりあえず、ちょっと聞いてみます』って言われて。それでしばらく経って、ガンバレ☆プロレスはどうかって紹介されました」

 リングに上がれるのであれば、団体は問わなかった。飯伏からも「とにかく露出すること。テレビでもラジオでもどんなリングでも、声がかかれば飛び込んでいった方がいい」とアドバイスされた。

 大家健の存在も知っていた前口は初めて会った時、会話が成立した事実にとてつもない感動を覚えたらしい。リング上では吠え叫んでばかりいるため、普段もそういう「ヤバい人」だとばかり思い、うっかりギャップ萌えしてしまったのだ。

 このようにガンプロという主戦場を得た前口。小さい頃の夢ではなかったにもかかわらず、モチベーションを持ってプロレスと向き合えているのは「リングの中が好きだから」にほかならない。 

 社会人プロレスと並行しガンプロに参戦する冨永真一郎が木髙イサミ戦でクローズアップされたばかりだが、前口もパーソナルトレーニングの指導員、キックボクシングのコーチ、建設現場での単発の仕事をかけ持ちする。それはひとえに、生活とリングに上がり続けるためだ。

 ひとつのジャンルで名をあげながら、三十代半ばで別の世界に入りイチから学ぶのは覚悟を要す。これは勝村も経験してきたことだ。

「確かにそこはいろいろあります。でも、プロレスの世界は温かいんで、スムーズに受け入れられた。逆にプロレスラーがキックに入ったら難しいと思います。どうしても斜めに見られるでしょう。今、GLEATの渡辺壮馬選手がキックを習っていて、ああいう姿勢を見ると素晴らしいって共感したくなります。

 まあ、そうは言っても年下に厳しく言われて我慢できなくなったら、ぶっ飛ばせばいいやって思っていますけどね、ハハハハ。最終的には強い方が正義っていうのが自分の中にあるんで。俺には時間なんてないんですよ。できても、現段階では40歳ぐらいまでと思っています。キックの時と同じように、これが限界だと思ったらスパッとやめる。そうじゃないと、お客さんに申し訳ない」

 自分にとってのプロレスが、長く続けられるものではないことも今の時点で認識している。キャリアを重ねればテクニックで対応できるようにもなるだろう。

 でも前口の性分には合っていない。気持ち的には、自分の速い動き、強い蹴りが落ちたなと思う人間が一人でもいたら終わりというほどの姿勢でリングに上がっている。

「だから、よく『いつか試合見にいくよ』って言う人がいるんですけど、それは選手生命が短いことを知らないんですよ。今度いくっていう言葉はプロレスラーや格闘家には言っちゃダメ。あとは…見返してやりたい気持ちが大きいです。飲み屋でキック時代から見ている人と話すと必ず喧嘩になるんです。酒が入っているのもあって『おまえのプロレスなんか見たくねえよ!』って直接言われてムカついて。

 子どもの頃から負けず嫌いで、自信があるのに喧嘩をやったら負けちゃって、思っているよりも弱い自分が悔くて。体もそんなに強くなくて親が心配するぐらいだったので、心配かけないためには強くなろうって思っていました。大人になってもおまえには絶対に負けたくない!という気持ちでやってきた気がします」

 負けず嫌いの前口は隠れて練習を続け、やっていない感をまとうようにしてきた。努力するのは当たり前であり、人に見せて誇るものとは違う。

 キック時代、SNSに練習風景をアップしなかったのも、そうしたこだわりによるものだ。お金を払って見に来る観客にとっては結果がすべてであり、トレーニングは好きだからやっているにすぎない。

 前口にとって日々の練習は毎朝起きて歯を磨き、顔を洗うのと同じなのだ。その中で、プロレスを研究する。キック出身でありながらまったく毛色の違う「タイソンスプラッシュ」を大技として用いているのも、飯伏との“合作”だ。

「キックボクサーがプロレスのリングに上がって使う必殺技は?って言ったら、まず思い浮かぶのはハイキックとか打撃系ですよね。そういうようには思わせたくなかったんです。

やっぱり、ちゃんとプロレスを学びたかったんでキックを我慢して我慢して。土足じゃないけど、ヨソの世界から入ってきて学んでいないのは失礼だろうって。できないんであれば、できない自分をさらけ出し、そこを見てほしかった。

 それで飯伏さんにこの技(ダイビング・ボディープレス)がいいんじゃないかって勧めていただいて。最初は開脚式みたいな感じだったんですけど、距離を伸ばした方が“乗っかり”が強くなるって飯伏さんに言われて、以後は飛距離を伸ばすことを頭に置いて使っています。タイソンスプラッシュⅡも頭の中にあるんですけど、体が追いついていないんで研究中です」

 技の開発について語る前口は、実に楽しそうだった。キックボクシング出身=打撃と思われたくなかったが、最近ではそちらの練習も再開し、プロレスへ生かそうと考えている。

 これは、勝村&和田との闘いの影響によるもの。寝技のスペシャリストに今からグラウンドで対抗しようと思っても勝ち目はない。ならば、自分の得意分野を伸ばすべきとの結論に達したのだ。

 7・9大田区では敗れたものの、相手の打撃は「スローモーションに見えた」。キック時代はパンチが得意だったので、掌底を有効に使えたらと想定。また、このタイトル戦に向けて新技も用意したと明かす。

 路上キックのように、前口はその道のパイオニアになりたいと思っている。新たなカテゴリーとして確立させることによって、格闘技側からプロレスの世界に入ってきてほしい。本人はそれを明快に「キックボクシングプロレスラー」と名づけた。

「なかなかやりたいっていう人がいないんですよね。けっこう聞かれはするんです。『痛くないの?』とか。もちろん痛いですけど俺だってデビューできたんだ、おまえもできるよって勧誘しています。実際は蹴りがあってもデビュー9ヵ月間は勝てない、難しくて厳しい世界だけど、だからこそマトモじゃない世界を描ける。俺はマトモじゃないけど何かをやってのける、タダ者じゃないって思われたいんで。

 そういう姿を見ることで、お客さんの人生が変わるかもしれないじゃないですか。人の人生に影響を与えるだけでなく、最終的には幸せになってほしいんですよ。高いチケットを買って見に来るんなら、人生が変わってしまうぐらいの体験をしてほしい。自分たちの試合によってそうなったら…いいですね」

 昨年末、前口は二世が誕生した。人の親になって、やはり物事の価値観は変わったという。

 我が子が父の背中を見る年まではプロレスを続けたいと思っている。キックボクサーとしての姿は刻まれていないからだ。

 そんな前口に「自分はプロレスラーです」と言えるか?と振ってみた。「難しい質問ですね…」と前置きし、少し考えてこう続けた。

「60%ぐらいですかね。まだ、そんなに認知されていないんで、自己紹介する時に『プロレスラーの前口です』ってちゃんと言えるかどうか難しいです。キックボクサーの時もそうだったんですよ。なぜなら、それだけで生活できなかったんで。スポンサーさんの支援に助けていただいて、そこがちょっと心残りだったっていうのがあるんです。

なので、プロレスだけで生活できるようになりたいのはすごく思っているんで、バイトしている間は言えない気がします。そのためにもガンプロを毎回満員するぐらいにしたい。いや、本当にこの団体の認知度をもっと高めたいって思いますもん。ガンプロはほかとは違うことができた上で、幸せになってもらえる場ですから。あとは…1年以内に飯伏さんとのタッグを実現させたい」

短期集中型の前口だけに、飯伏とのタッグ実現を1年以内と定めるあたり、うなずける。以前にそれを伝えたところ、本人には「いずれできると思いますよ」と言われたらしい。

 若いうちに団体の門を叩き、新人として練習を重ねデビューに漕ぎつけ、キャリアを重ねて…そのような本流を歩まずプロレス界の住人となった前口太尊。しかし、そんな男が他者の人生を変えてしまうほどの熱量を放つから面白い。パンチドランカーは、パンチドランカーなりの信念を持って、ガンプロのリングへと上がる――。

(文・鈴木健.txt)

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