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2022-05-02

あの日、心臓は止まらなかった…マッスル坂井と大家健のポジティブな“運命”【週刊プロレス】

坂井(左)と大家

もし、あの日闘っていたら、命はなかったかもしれない――。プロレスラーのスーパー・ササダンゴ・マシンと大家健には、多くの歴史と物語がある。

 ガンバレ☆プロレス5・3後楽園(午後6時30分開始)で大家と一騎打ちをおこなうのはマッスル坂井。普段は煽りパワーポイントでおなじみのマスクマン、ササダンゴとしてリングに立っているが、この日は素顔で出陣。それには理由がある。
 4・9新木場で大家が渡瀬瑞基との激闘を制したあと、ササダンゴは乱入。同団体の代表である大家に「主役っぽさを感じない」と辛らつな言葉を投げかけながら、シングルマッチを要求した。その裏には友人でもある大家に、ガンプロ最大のビッグマッチ7・10大田区総合体育館でメインイベントを張ってほしい願望がある。平たく言えば、大家にハッパをかけにきた。ガンプロは大きな団体ではないが、試合の熱さ、そして選手を応援しているファンの熱量は巨大。声援ができないコロナ禍の会場ながら、リングから感じた熱気に思わず触発されたササダンゴは、気づけば素顔での対戦を要求していた。

「まっする(※プロレスを題材にした演劇)は笑いみたいなものを意識して、たくさん笑ってもらえるような興行をやっているけど、大家さんたちは純粋に熱く、お客さんを熱狂させる原始的で根源的なプロレス。初めてガンプロのリングに上がって大家さんと向き合ってみたら、熱いんですよ。素直に熱くなっちゃうんですよ。大家さんはずっと“プロレスをメジャーに”と言っていた。『具体的なプランはあるのかよ』とずっと思っていたけど、じっさい熱かった。スーパー・ササダンゴ・マシンとしては向き合えない感じ。マスクマンは表情を悟られたくない気持ちがたぶんあるだろうけど、素の感情をぶつけないと失礼なのかな、と。自分をさらけ出さなきゃいけないと、逆にそうしないとガンプロに失礼なんじゃないかという気がしました」

 事実、坂井は大家とその場で言い合ったのち、張り合い、殴り合った。煽りパワポに代表される演出、仕掛けが際立つ闘いとは違う、シンプルなプロレス。当日はどのような闘いになるかはわからないが、2人の間に立ち昇ったのは“シリアス”だった。40代半ばの同世代で、それぞれ代表的な立場があったり、リング上のことだけを考えればいいポジションにはいない。だからこそ、5・3後楽園はいかにそういった立場から離れて、激突できるかが一つのテーマになっている。

「自分と大家健だから、華麗な攻防を見せられるわけでもない。ただ、大家さんだったら遠慮せず思いっきりいける。あまり言わないですけど、普通に負けません。俺も大家健も、できないこと苦手なことはそのままでいいから、得意なことや、これは絶対負けないぞという部分を、そこだけでいいから頑張ればいい」

 すでにガンプロは“大家健の団体”からは脱皮しているものの、前述したように坂井は7・10大田区のメインには大家がいるべきと考えている。

「厳密には大家さんが主役じゃなくてもいいと思う。今成(夢人)とかほかの選手が大家さんを追い出せばいいじゃん、と思うし、たぶんそうなっていると思う。でも、だからこそ7月の大田区は大家さんは意地でもメインイベントでリングに立たなきゃいけないと思っていますよ。プロレスをメジャーにすると言って、お客さんや選手を連れてここまで来たんだから、そこまではやり切る責任がある。絶対そこで、カッコイイところを見せてほしい。大田区を大成功させて、一人でも多くのお客さんの前で“大家健のガンバレ☆プロレス”を見せてほしいんですよ。こんなことを言う義理はないけど、いまプロレス界は逆風。声出しちゃいけないし、思ったより会場はいっぱいにならない。だからこそ、メチャメチャ熱い興行をしてほしいんです。ガンプロの真価は、マジで問われていると思います」

 古くから縁がある大家。当時、坂井が主宰していたマッスルへの出場を反故にし、団体から失踪。その後、DDTへの大家カムバックを高木三四郎から促され最終的にOKしたのが坂井だった。両者の一騎打ちは2017年8・2新宿以来(その時はササダンゴとして)だが、こんなこともあった。その前年、ある意味、運命を分ける大きな出来事が起きている。
 DDTの'16年10・23後楽園、5大シングルマッチの一つとして、大家vsササダンゴが組まれていた。しかし10月22日、坂井は急性心筋梗塞を起こす。当時報じられた状況とは裏腹に、事態は切迫していた。同日、テレビ収録の仕事をしていたところ胸が苦しくなり、どうにか乗り切ったものの、具合の悪さを見かねた番組プロデューサーの判断で病院に連れていかれた。救急車で搬送されたわけではないが、診察したところ「完全に急性心筋梗塞を起こしている」と言われ、そのまま心臓カテーテル手術。当然、後楽園大会は欠場となった。
 仮に我慢できたとして、翌日、後楽園で大家と闘っていたらどうなっていたか? 答えはわからないけれど、坂井はこう語る。

「変な話だけど、もし仮にそこで無理やり病院にいかないで、そのまま無理してリングに上がっていたら、たぶん僕はその試合で間違いなく、リングの上でよくないことが起こっていた。もしそんなことしたら、大家さんに大きな十字架を背負わせることになったかもしれない。その時は復帰できるかどうかわからなかったから心臓の疾患で欠場しますと言っていたけど、手術もしているし、何度も治療して、またプロレスができる状態になって。コンディションが悪いのは心臓にかかわらず、もともとですから!」

 そう冗談を飛ばす坂井だが、何より、そうならなかったのが大家とのポジティブな“運命”だった。いまでは「心配されるのは余計なお世話」と言うぐらい体調はケアしているし、本音では「コンディションもそんなに悪くない」と感じている。だからこそ、大家といまこそ思いっきりぶつかり合いたい。その結果、何が生まれるのか?
 ぼそっと坂井は「まだね、まだ、変われたらいいなと思っている部分はあるんですよ、自分だって」と言った。

<週刊プロレス・奈良知之>

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