全日本選手権では2回戦から登場、3試合とも苦しい戦いを勝ち抜いたアイスバックス。チームは4年ぶり3度目の優勝を飾ったが、その中でベテランらしく、ピンチを1つひとつ摘み取っていったのがゴーリーの福藤豊だ(自身は準決勝、決勝に出場)。この大会のMVPに輝いた福藤に、全日本選手権での戦いぶりを、また選手会の会長としてアイスホッケーの現状をどう思っているか聞いてみた。チームにとって、何が足りないのか大会前2週間でしっかり追い込めた――まずは準決勝の話からいきましょう。レッドイーグルス北海道に1ピリ11分に先制され、しかし3分後の14分に大椋舞人選手のゴールで追いつきました。そこから3ピリのタイムアップまで、双方とも得点がありませんでしたね。何を考え、はたまた何を大事にしながら、福藤選手はゴールの前に立っていたのでしょう。
福藤 全日本選手権って、僅差になる試合が多いんです。特に準決勝ですね。1点の重みというのは自分自身、理解していたので、とにかく「変な失点」だけは取られたくないという緊張感は持っていました。イージー・ショットで入れられちゃうと、チームに悪い流れが来てしまうんですよ。「そういう失点だけは避けなければ」とは思っていました。
――普段リーグで対戦する相手と、短期決戦で、しかも勝ったまま大会を終えなければならないのが全日本という大会です。この大会独自の戦い方があるとすれば何でしょうか。
福藤 レギュラーシーズンの対戦成績はいったん切り離して考えなければならないのですが、レッドイーグルスが得点力、パワープレーの成功率も上位ということは、もう間違いないわけです。僕自身もそうですが、相手に付き合って反則してしまう…そういうのは絶対にやめようというのはチームの意識として持っていました。リーグでの戦いを見ているとわかると思うんですが、バックスは反則が多いんですよ。チーム自体が、高い集中力を持っていたというのはあります。
――2ピリのシュート数はバックス6本に対して相手が16本。3ピリも5本:11本と耐える時間帯が長かったのですが、ゴール前でひとり落ち着いている福藤さんを見て、チームも安心感を取り戻したのではないですか。
福藤 僕というより、全日本の前の週末、バックスは試合が組まれていなくて、だから大会前の2週間はしっかり追い込めたんです。チームにとって何が足りないのかをしっかり見つめ直した、強度の高い2週間を過ごせたのが大会を通じて大きかったと思います。
――結局、試合は延長まで行きましたが、レッドイーグルスのヘッドマンパスが通らず、アイシングになった。バックスは敵陣でのフェイスオフを生かし、寺尾勇利選手の個人技で決勝点を決めました(スコアは2対1)。
福藤 勇利自身、この大会前はすごく悩んでいたんですよね。
――確かに、寺尾選手は12月上旬の段階で、リーグの得点は、意外なことにゼロでした。
福藤 そうなんです。彼も、全日本選手権に賭ける思いというのが強かった。これまでバックスは(今大会を除いて)2度優勝しているんですが、勇利は1度目はケガで欠場していて、2度目は海外でプレーしてチームにいなかったんです。普段、チームメートとして接していて、彼の努力は誰もが認めている。僕も久々に痺れましたよ、準決勝は。
バックスの「気力」を維持できたのは悔しさを持ち続けてきたことと集中力――準決勝が終わって、20時間後に東北フリーブレイズとの決勝を迎えました。1ピリ13分、バックスが古橋真来選手の先制点の後、16分にフリーブレイズが同点に。2ピリ29分には再度、古橋選手が勝ち越しゴールの2点目を上げますが、直後、バックスはダブルマイナーで4分間のPKを与えてしまいます。
福藤 今までで一番キツかった全日本選手権だったかもしれないですね。変則的な試合時間もそうですし、すごく精神的にキツい2試合だったと思います。僅差の試合をゴーリーが守るというのは、相当、ストレスがたまるんですね。だからこそ、ファンの人の声の後押し、それが本当に大きかったです。
――そのダブルマイナーの反則で、最初のペナルティーキリングで同点になったものの、続く2分間はフリーブレイズに3点目のゴールを許しませんでした。これが、この試合の最大のポイントだったように思います。
福藤 僕の守りというよりも、あの場面で3点目を失わなかったことはチームにとって本当に大きかったと思います。イーブンになるのは、まあいいんですよ。でも、これが勝ち越しゴールを許すとなると、今度は一気に流れが相手にいってしまうこともありますから。
――フリーブレイズはニュートラルとDFゾーンで中を固めていて、これにはバックスも手を焼いていましたね。ところが3ピリの50分、このピリオド両チーム唯一のPPで、バックスに待望の3点目が生まれました。バックスのシステムは1:3:1だと思うのですが、寺尾選手がいったん高めの位置でパックをキープし、そこから速いショットで、ゴール前の磯谷奏汰選手がディフレクションを流し込みました。このPPユニットは、スピードがあって鮮やかでしたね。
福藤 たとえば相手にボディレシーブが出ると、そこで攻めのリズムが崩れてしまうのですが、あれは本当にスピードに乗った、いい形の攻めだったと思います。
――3ピリ残り3分くらいからフリーブレイズの猛攻があって、しかし福藤選手は最後の一線を割らせませんでした。それが59分、大椋選手のエンプティでのゴールにつながります(最終スコアは4-2)。
福藤 もう最後は「絶対優勝するんだ」という気持ちしかなかったですね。全日本選手権は気持ちと気持ちのぶつかり合いというか、よく「相手より勝ちたいと思うチームが勝つ」と言われますけど、本当にその通りだと思うんです。負けたほうのチームにしたら、その悔しさを晴らすのは、もう1年後の全日本しかない。最後の最後までバックスの「気持ち」を維持できたのは、その悔しさがあったからと思います。
――話は変わりますが、福藤選手が出場していない東洋大との2回戦は僅差のまま終盤になって、特に3ピリは攻められる時間が長く「もしかしたら…」という予感もなくはなかったような気がします(バックスのエンプティを含めて4-2)。福藤選手が、ドレスなしでこの大会を終える可能性もあった。ただバックスとすれば、土曜日からのトップリーグとの試合を前にして、金曜日は「夜20時30分開始」、しかも「学生が相手」と、気持ちを整理することが難しかったかもしれません。
福藤 さすがに20時30分開始の試合と、翌日は14時半開始の試合を連戦でこなすのはキツかったと思います。自分も上から見ていて、東洋大戦は本当にドキドキしましたよ。大学生を相手に負けることは、過去にバックスも経験していることですからね。(先発出場のGK)大塚一佐も内心、怖かったろうなと思います。
――藤澤悌史監督は優勝を決めた後、涙ぐんでいるようにも見えました。福藤選手にとっては釧路・景雲中学校の先輩でもあります。
福藤 ほっとした部分も、藤澤監督にはあったと思います。昨年も全日本選手権の前に、2週間ほど試合のない日があったんですよ。前年の全日本選手権の反省として、「レストすることに集中し過ぎた(休息を取ることに神経を使い過ぎた)」と監督は言っていたんです。だから今年は「練習でプッシュする」と。大会前は練習を厳しくして、シーズンを迎える時と同じくらいハードにやったんですね。だから今年は、3試合ともに体力もあったし、集中力も切れなかったんだと思います。
――昨季、併用でGKを務めていた選手がチームを抜けて、福藤選手は41歳で、土・日の連戦をこなさなくてはならなくなりました。
福藤 今季は連戦で出ることが多くなりましたけど、これまでも「試合に出たい」という気持ちは自分の中ですごく強かったんです。おかげさまで、やりがいのあるシーズンを送れているというか、現役をずっと続けてきて、30代後半あたりになっても「まだまだ自分はうまくなっているな」という実感があることに気がついたんですよ。
――「まだ、うまくなっている」。そういうフレッシュな意欲が41歳の今でもある、と。
福藤 そうです。無駄なものが削ぎ落とされていくといいますか、アイスホッケーに関する考えとか、自分の中の「変化」を楽しめている。それがあるうちは、自分では現役にこだわりたいな、という思いが強いですね。
うれしかったワイルズの全日本の健闘信頼関係を築き上げてリーグに参戦を――今年の全日本選手権には、連盟推薦枠で釧路市の「北海道ワイルズ」が出場しました。優勝したバックスが「大会の主役」であることに間違いはないのですが、一方で、ワイルズも大会を盛り上げた殊勲者ということがいえると思います(GWSの結果、ベスト4)。今シーズンは福藤選手の故郷でもある釧路のトップチームがアジアリーグに参加できませんでしたが、「日本アイスホッケー選手会」の会長として、悩み多きシーズンになっているのではないですか。
福藤 まずは公式戦に出る機会のなかったワイルズの選手たちが、全日本に出るチャンスができたのがうれしかったですね。そして、そこでワイルズは十分、大会を盛り上げてくれた。そこは、彼らのことを称えないといけないと思っています。ワイルズの「全日本選手権」という大会に賭けてきた思いというのは、他のチームからすると、はかり知れないものがあると思いますから。
――福藤選手はワイルズの齋藤兄弟とも、過去にはバックスで、そしてやはり景雲中学校でも一緒にプレーしています。
福藤 オーバータイムでGKを上げるというのは、もともと(監督の)毅さんがやっていたんですよ。お客さんを楽しませようとしているのがよくわかったし、本当にワイルズの健闘ぶりには拍手を送りたくなりました。だからこそ、今後、ワイルズは地元との信頼関係をしっかり築き上げてほしいというのはありますね。そして来年は、しっかりとリーグに参戦してきてほしいと思います。
――さて福藤選手は、昨年の全日本選手権ではケガで試合出場はかないませんでしたが、その時のMVPは橋本三千雄選手(フリーブレイズ、昨年は45歳)でした。ともに40歳を超えるゴーリーが、2年連続でMVPを受賞するのは珍しいことだと思います。同じ栃木・宇都宮住まいで、しかもお子さんの学校が同じという2人。在籍年度は被っていませんが、バックスの先輩にあたる橋本選手のことを福藤選手はどう思っているのでしょう。
福藤 運動会で三千雄さんと一緒に出たこともありましたね(笑)。この全日本のあと、「おめでとう」と声を掛けてもらったのですが、この年になって今の自分よりも年上の人ってものすごく尊敬します。でも、あの人、ちょっと異常すぎるんですよ。身体能力もすごいし、体のケアもちゃんとやっている。第一、三千雄さんはケガをしないんです。もともと、能力が人並み外れているんだと思いますね。三千雄さんと同じ年まで現役を続ける可能性は…う~ん、どうですかねえ(笑)。でも最近は、「自分の背番号までは頑張ってみようかな」とは思っているんですけどね。
福藤 豊(HC栃木日光アイスバックス)1982年9月17日生まれ。北海道釧路市出身。美原小、景雲中から宮城の東北高に進み、2000年に日本リーグのコクド入社。2002-2003にECHLシンシナティ、2004-2005にECHLベーカーズフィールドでプレーし、ロサンゼルス・キングスにドラフト指名を受ける。2005-2006にAHLマンチェスター、ECHLレディングでプレーし、2006-2007途中にロサンゼルスで日本人として初のNHLに出場。その後、ECHLとオランダでプレーし、2010-2011シーズンにアイスバックスへ移籍する。2014-2015はオランダに戻るが、翌年に日光へ復帰。日本代表としても活躍している。185センチ・78キロ、背番号は「44」。