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2023-12-26

【箱根駅伝の一番星】小学5年生からの夢をかなえた日本大の主将、下尾悠真。憧れの箱根路についに立つ

下尾らにけん引された箱根予選会での集団走は他校の監督から芸術的とたたえられた(写真/桜井ひとし)

陸マガの箱根駅伝2024カウントダウン企画「箱根駅伝の一番星」では、出場23校の注目選手を紹介。一年間、主将としてチームを鼓舞しつつ、ついに日大を4年ぶりの本戦に導いた。チームに箱根経験者はいないが、“ニチダイシンジダイ”の幕開けとなるような走りを見せるつもりだ。

これで負けたらしょうがない

箱根駅伝予選会で5位通過を果たし、日大は4年ぶり90回目の出場を果たした。個人1位のシャドラック・キップケメイ(1年)、同56位の西村翔太(4年)を除く、全選手が当初のプランどおりに15㎞まで一糸乱れぬ集団走を貫徹。その集団走をけん引したのが、主将の下尾悠真(4年)だった。

「夏の段階で集団走を引っ張る役割は決まっていました。レース前に話し合って計画したペースどおり、しっかり引っ張ることができたことが予選会通過につながったのかなと思います」

10㎞通過に全体18位、15㎞通過に同17位だった日大は、ここからペースアップし、20㎞通過時に5位まで上げると、その順位を維持して本戦出場権をつかみ取った。

5月に就任した新雅弘監督の下、徹底して距離を踏んできた効果を下尾は実感していた。

「昨年と比較しても比べ物にならないくらい走りました。1.5~2倍は走行距離が増えたと思います。夏合宿の後半の頃には『これだけ走っていれば通過するだろう。これで負けたらしょうがない』と思えたほどでした」

5000m13分48秒55、10000m28分50秒15を持つ下尾はそれまでロードに苦手意識があったというが、「距離走では今までみたいにきつく感じなくなりましたし、長い距離に耐え得る脚ができたのが今年、強くなった部分だと思います」。1時間04分04秒の自己新でフィニッシュした下尾は、子どものころからの夢であった箱根出場を最終学年でついにかなえた。

4年間で学んだことを伝えたい

下尾と箱根との出会いは小学5年生のときだった。日体大が30年ぶり10回目の総合優勝を果たした第89回大会だ。5区の山上りで服部翔大(現・立正大プレイングコーチ)が区間賞の走りで往路優勝に導いた姿を見て、「かっこいいな」と憧れると同時に、自分も箱根の舞台に立ちたいとの思いを抱いた。日大入学時、19名の同期のなかで5000mの持ちタイムは7番目。「自分はもともと強い選手ではなかったですし、同期が強かった分、本当に箱根で走れるのかなという気持ちはありました」。入学前の96回大会を最後に本戦から遠ざかり、指導体制は毎年のように変わった。その過程で同期は6名に減ったが、箱根への想いはブレることはなかった。

「箱根に出ると自分で決めたからには、最後までやり抜こうと思っていました。それに家族、とくにおじいちゃんがすごく箱根が好きで、ずっと応援してくれていたので、走りで恩返しをしたかったです。けっこうつらい時期もありましたが、耐えてやり切ることができました」

最初で最後の箱根駅伝では1区を希望する。3年時の全日本大学駅伝では1区区間17位と苦杯をなめており、そのリベンジと位置付ける。「スローな展開となって、ラスト勝負になれば自分のスピードを生かせるので、いい勝負ができるのではないかと思っているんです」。

下尾には自身の走りを通じて後輩たちに伝えたいことがある。「高校までとは違い、どこまで自覚を持ってやるかで、結果が変わってくることを4年間で学びました。タイムが遅いからあきらめるのでなく、目標を立てて努力をすれば、5000m、10000m、ハーフでタイムを残せるんだってことを」。

“ニチダイシンジダイ”の扉をこじ開けた主将は、大舞台でそのことを証明するつもりだ。


4年ぶりの箱根本戦では繰り上げスタートにならないことを目標に掲げる日大。“シンジダイ”につながる走りを誓う(写真/菅原 淳)

PROFILE
しもお・ゆうま◎2001年11月4日、岐阜県生まれ。東安中→市岐阜商高(岐阜)。大学3年時の全日本で学生駅伝デビュー。3年時から副将を務め、主将となった今年度、日大を4年ぶり箱根出場に導いた。自己ベストは5000m13分48秒55(大3)、10000m28分50秒15、ハーフ1時間04分04秒(共に大4)。卒業後はNTNで競技継続。

文/石井 亮 写真/桜井ひとし、菅原 淳

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