close

2024-02-11

棚橋弘至が2012年オカダ・カズチカ敗戦翌々日のラジオ出演で語った本心…もうひとつのレインメーカー・ショック(3)【週刊プロレス】

王座転落から2日後、棚橋はショックが癒えぬまま大阪ABCラジオに生出演。そこで語ったオカダの印象は……

全ての画像を見る
V11を達成し、これといった挑戦者も見当たらないことからオカダ・カズチカの対戦要求を受け入れた棚橋弘至。この時点では大半のファンが防衛回数を伸ばすと思っていた。むしろ東京ドームで挑戦を表明したふてぶてしい態度に、返り討ちにしてもらいたいとの思いを強めたファンもいたことだろう。

そしてシリーズが開幕。その時点でも大半の見方は「オカダがどこまでやるか」。ところが、オカダにとって凱旋後、初の後楽園ホール大会で王者から直接フォール勝ちを記録。それでもまだ、ファンの目が“オカダ恐るべし”に変わることはなかった。ところが待っていたのは、IWGP史上最大の大番狂わせといわれる結果。今回は角度を変えて、レインメーカー・ショックを許した棚橋から見た当時のオカダの印象とは(橋爪哲也)。

     ◇      ◇      ◇

シリーズ序盤で直接フォール負けを喫した棚橋弘至。その後も前哨戦は続いたが、借りを返すことなく決戦の日を迎えた。

それでもレインメーカーでカウント3を聞いたことで破壊力を身をもって知ったことから警戒心は強めたものの、焦りはなかった。

当時のオカダの試合展開は、防戦を強いられながらもカウンターのドロップキックを決めて形勢逆転。そこから一気に殺人フルコースに乗せ、レインメーカーで決めるというもの。棚橋自身、レインメーカーそのものより、勝負どころで放ってくるドロップキックをいかに食わないようにするかの意識の方が強かった。そして迎えた2012年2月11日、大阪府立体育会館。

「決してなめていたわけじゃないけど、序盤は“オカダにとって初めて経験する大一場で、どこまでやれるかな?”という感じで出方をうかがっていた感じですね。ドロップキックを食らったのも序盤でしたし、いつもと試合運びが違ってたので、IWGPが懸かってペースを乱してるのかなという感じ」

そんな棚橋の冷静さを欠いたのが、オカダが場外で放ったツームストーン・パイルドライバー。脳天からフロアに落とされた瞬間、「“あっ、これはやばいぞ”っていう空気感を感じました」と振り返る。

ただ、この表現からして棚橋自身が“やばい”と思ったわけではなく、会場の空気が変わったという印象。だがこれで棚橋もペースを乱されたのか、中盤からは棚橋が攻め込む場面が多く見られた。ただ、追い込んでいるというより、仕掛けが早くなった感は否めない。

王者が警戒していた一発逆転のドロップキックは出なかったが、最後はスリングブレイドをかわしたオカダが、一度はかわされたながらも振り返りざまに放ったレインメーカーで棚橋を吹っ飛ばし、カウント3を奪った。

試合の中で強く印象に残ったのが、終盤のあるシーン。レインメーカーをかわした棚橋が、スリングブレイド、両腕をロックしてのジャーマン・スープレックス、TWELVE SIXと畳みかけ、うつ伏せ状態のオカダにハイフライフローを決めた。そして続けてもう一発。コーナーに上がる前に棚橋は右手を天高く突き上げ、フィニッシュをアピール。決して間が開いたわけでもなく、素早く駆け上がってトドメの一発を放ったが、オカダは間一髪でヒザを立てて迎撃。そこから逆襲に転じる。

棚橋のボディーにオカダのヒザがめり込んだ瞬間、会場は悲鳴でもなく歓声でもなく、また驚きでも声に包まれた。いや、その声が発せられる前に一瞬、空白の時間があったように感じられた。

もちろん棚橋は勝利を確信して飛んだのだが、それは観客も同じ。もともとハイフライフローは、その技自体でダメージを与えてカウント3を奪う技ではない。それまでに十分なダメージを与えて、トドメとして放つ。これで終わりだと幕を閉じるための“魅せ技”である。

勝利後のエアギターを少しでも近くで見るべく、棚橋が飛んだ瞬間に通路に押し寄せていったファンは言葉を失い、その場にボウ然と立ち尽くしていた。試合は続いているにもかかわらずだ。その光景こそ、レインメーカー・ショックを象徴していた。

思いもよらなかった王者交代劇。実はレインメーカー・ショックは決戦当日だけで終わらなかった。棚橋には決戦2日後、そのまま大阪に残ってABCラジオ「スポーツにピタッと。」への出演が待ち受けていたのからだ。

かつてのNWA世界王者のように新王者が防衛戦スケジュールを引き継ぐわけでなく、棚橋は失意のままスタジオへ。番組サイドは防衛を想定して、プロ野球のキャンプ取材で沖縄に出かけている野球評論家に代わって、棚橋をゲストコメンテーターに起用する手はずを整えていた。

ショックが癒えぬまま、棚橋は予定通り出演。重苦しいムードの中で2日前のタイトル戦の話題となった。棚橋から出てきた言葉は「オカダが試合の中で成長していってたこと。そういう選手はこれまでいなかったし、それは計算できなかった」。それ以降も試合中に目に見えて成長していく選手との対戦経験はないという。

あのレインメーカー・ショックから干支がちょうどひと回りした。オカダの新日本プロレス退団で急きょ組まれた一騎打ち。オカダの海外遠征壮行試合として初めて組まれて以降は、次期挑戦者決定戦を含めたタイトル絡みか「G1クライマックス」での公式戦でしか対戦していない。

レインメーカーとしてのオカダから見て、これまでの対戦成績は8勝5敗2分。このところオカダが3連勝して差を広げている。最後の国内でシングル対決した場所も大阪だった(2021年9月19日、G1クライマックス公式戦)。

17度目の激突となる2・11。大阪では4度目となるシングル対決では、どのようなドラマが生まれるのだろうか。(おわり)

<プロフィル>
オカダ・カズチカ 本名・岡田和睦。1987年11月8日生まれ、愛知県安城市出身。中学卒業後に渡墨して闘龍門に13期成として入門。2004年8月29日、アレナ・コリセオでネグロ・ナバーロ相手にデビュー。07年7月、新日本プロレスに再入門。ヤングライオン時代を経て10年2月に海外遠征に旅立つ。“レインメーカー”に変身して12年1・4東京ドームに凱旋。勝利を収めると、IWGPヘビー級王座への挑戦を表明。同年2・12大阪で棚橋弘至を破り、初挑戦で新日本の至宝を獲得。同年の「G1クライマックス」でも初出場初優勝を飾る。その後、エースとして2010年代の新日本を支える。24年1月末日をもって新日本を退団した。

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事