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2024-02-19

【アイスホッケー】「いつも、自分を信じること」。伊藤崇之(東北フリーブレイズ)と古川駿(横浜グリッツ)の才能。(前編)

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2022-2023シーズンの伊藤(右)と古川。ベテラン畑と橋本の前に、2人とも帯氷時間は多くなかった(写真はすべて伊藤崇之提供)

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トップリーグで初めて「脚光」を浴びた伊藤。

 2月上旬、ハンガリーで行われたオリンピックの3次予選。日本は3戦ともに逆転で3連勝、この8月に始まる「最終予選」への進出を決めた。

 青森県八戸市の東北フリーブレイズ選手寮では、27歳のGK・伊藤崇之も、インターネットで中継を見ていた。なかでも再三に渡って日本のピンチを救ったゴーリー・成澤優太(レッドイーグルス北海道)に、どうしても目が行ったという。

「あらためて、ゴーリーのプレーで試合が左右される責任の重さを感じました。 夏に最終予選がありますが、ハンガリー戦のような耐える試合が増えて、ゴーリーの仕事もより大変になるんだろうな、と。 外国人のリーチの長さ、パススピード、シュートのスピード…。ゴーリーだけでもこれに対応していかなければ、勝つことは難しくなってくるのかもしれません」

 フリーブレイズ2年目の今季、伊藤はスタメンでゴールを守ることが増えてきた。ルーキーの2022-2023シーズン、出場したのは2試合のみ。1年前は、開幕当初こそスターターとして試合に出ていたものの、ベテランの畑享和と橋本三千雄の体調が戻ってくると、以降はサブに甘んじていた。

 伊藤は水戸啓明高校、さらに法政大学でも、日の丸をつけた経験がない。さらにいうと、学生時代はポジションをつかんだ経験はなかったように思える。アジアリーグに入ったことで、ようやく「伊藤崇之」という名前を知ったという人は、案外、多いのではないだろうか。

海外1~2年目は「レーサーHT」でプレーした伊藤。フィンランドらしく、パスホッケーへの対応を体で覚え込んだ
海外1~2年目は「レーザーHT」でプレーした伊藤。フィンランドらしく、パスホッケーへの対応を体で覚え込んだ

父ができなかったことを僕はやりたかった。

「僕は大学1年の頃から、アジアリーグでプレーしたいと思っていたんですよ」

2018-2019シーズン、法政大学4年目を迎えた伊藤は、就職活動をまったくしていなかった。

理由は2つ、ある。

「法政を卒業したら、海外に出てプレーしようと決めていたんです。大学1年目で試合に使ってもらえて、でも2、3年の時には、いい成績を残せなかった。4年生の時はラストチャンスだと思ってやったんですが、結局、試合に出たり、出なかったりで…。アジアリーグから声がかからなかったので、とりあえず別の道を選んだんです」

 高校のOB(当時の校名は水戸短大附)でエストニアでのプレー経験のあるGK鈴木翔也さんの助言で、海外のインターネット「エリート・プロスペクト」にスタッツを載せてみたり、自分のプレーの「プロモーションビデオ」をつくったこともあった。それでも、興味を持ってくれるチームはなかなか現れなかった。

 伊藤は、しかし海外でプレーすることをあきらめなかった。

「水戸でも法政でも、何か結果を残したかといったら何も残せていないんです。大会で表彰選手になったことも、一度もなかった。こんなに必死にやってきたのに何も残らないとしたら、自分でも悔いが残るし、応援してくれた親にも申し訳ない。よし、結果を残すまでやってみよう――そう思いました」

 大きな理由は、もう1つあった。長野の実家は、有名な善光寺。伊藤はどこかのタイミングで、僧侶を継がなくてはいけなかった。

「継ぐのは30歳半ばでいいと父に言われました。それまでは自分の好きなことをしてこい、と。父は小学生の時に(伊藤の)祖父を亡くしているんです。だから大学を卒業したら、すぐに後を継がなくてはならなかった。もともと父もアイスホッケーが好きで、でも、そういう理由があって断念せざるを得なかったんです。父がやりたくてもできなかったことを、僕はやりたかった」 

 結局、伊藤のチームはフィンランドの3部リーグに決まった。

 傍目には「大学を卒業して、晴れて海外でプレーする若者」に見えたかもしれないが、実際は「ことあるたびに周りの評価の低さを感じていました」と伊藤はいう。それは当時の彼の、正直な気持ちだっただろう。

ヨーロッパへ行って精神的にも成長した。「向こうは、試合前もバス移動で十分に準備ができないことがあるんです。いい意味での無神経さというのが必要になってくるんですよ」
ヨーロッパへ行って精神的にも成長した。「向こうは、試合前もバス移動で十分に準備ができないことがあるんです。いい意味での無神経さというのが必要になってくるんですよ」

「海外の人は、失点して負けた僕を励ましてくれた」

 大学を出て最初の2年間は、フィンランドの「レーザーHT」でプレーした。

「フィンランドは、パスホッケーが根付いているんです。スケーティングで対応するスタイルじゃないと通用しない。最初は苦労しましたが、だんだんフィットしはじめて、2年目は開幕戦からスタメンで出られたんです」

 続いて「シャンピニー・ホッケークラブ」。2年間在籍していたフィンランドのチームの経営が思わしくなかったこともあり、3年目はフランスの4部リーグでプレーを続けた。

 海外でアイスホッケーを続ける中で、伊藤は徐々に、自分の中で「考えの変化」が生まれてくるのを自覚したという。

「やっぱり日本人とは違うんです。たとえば試合で負けた後、日本人なら普通は落ち込みますよね。でも、ヨーロッパ人は本当に、ケロっとしているんです」

ヨーロッパの人は負けた後に「ホッケーは点が入るスポーツだから、今日はたまたま敵の点数が多く入ったってだけだよ」と声をかけてくれた。そして「タカ、お前は今日の試合でよくやったじゃないか」と言って、元気づけてくれるのだ。

「ホッケーの本場の人がそう言うってことは、まあ、そうなのかもしれないなって僕も思うようにしたんです」

 水戸啓明高校で監督をしていた吉澤忠さんは、伊藤の「変化」に気づいた1人だ。

「崇之は、人の言うことを素直に聞き入れるようになったと思います。海外に行ったことで、一番変わったと思うのはそこかな。彼がお寺を継ぐのはまだ先になるでしょうが、いい僧侶になると思いますよ」(吉澤さん)

 もしかしたら、伊藤を縛り付けている心の「鎖」のようなものが、ヨーロッパで暮らすうちに軽くなったのかもしれない。

 伊藤は「海外に行く前」と「海外を経験した後」について、こう話している。

「考えてみれば、日本にいたときも同じように声を掛けてもらっていたんです。でも、それじゃあ上には行けないだろって、自分で跳ねのけていた。僕にはずっと、そういうプライドがあったんです。学生時代は、自分のプレーがうまくいかない時は感情を表に出していた。特に大学の2、3年のときは、長くて暗いトンネルの中にいたような気がします」

海外3年目は、フランス4部の「シャンピニー・ホッケークラブ」へ。このあと、念願だったアジアリーグと契約する
海外3年目は、フランス4部の「シャンピニー・ホッケークラブ」へ。このあと、念願だったアジアリーグと契約する

「うらやましかった」古川駿との再会。

 ヨーロッパで3年プレーを続けていく中で、新しいチームからオファーが来た。アジアリーグの東北フリーブレイズからだった。

 編成の担当は、チームの総監督でもあるクリス若林。「君が入ればウチはGKが4人になるけど、来る気はありますか?」と言ってくれたのだ。若林は、伊藤がヨーロッパでキャリアを積んでいること、そして海外からSNSを通じて日本のホッケーに変化を与えようとしていることも、わかってくれているようだった。

 伊藤には、念願のアジアリーグから声がかかった瞬間だ。

 だが、先述したように、2022-2023シーズンのフリーブレイズは、当時アジアリーグでただひとつの「GK4人制」のチームだった。

 GKは伊藤のほかに、橋本、畑、そして古川駿。古川は伊藤と同い年で、この学年では唯一、大学を卒業した時に、もっと正確に言うと大学卒業を待たずにアジアリーグに入ったトップゴーリーだった。

 2018年の大学4年のインカレ。伊藤にとって大学最後の公式戦の相手は、東洋大学であり、古川だった。結果は東洋の5-2。法政はベスト8止まりで、古川を擁する東洋は決勝まで勝ち上がっている。

「駿は大学のGKの中ではトップでしたし、アジアリーグに入っても、彼は最初から全日本選手権の決勝に出ていたんです。単純に、うらやましいなと感じました。何とかして駿に追いつきたい。そう思ったのを覚えています」

 2022年の夏。伊藤にとって4年ぶりの「日本のチーム」でのシーズンインだった。

 それは同時に、45歳の橋本、32歳の畑、そして同じ26歳の古川駿との競争の始まりだった。

(前編、終わり)

いとう・たかゆき
GK。1996年4月14日生まれ。183センチ、77キロ。長野県長野市出身。軽井沢グリフィンズ、長野イーグルスを経て、高校は茨城・水戸啓明へ。法政大学を卒業後、フィンランド3部の「レーザーHT」で2年、フランス4部の「シャンピニー・ホッケークラブ」に1年在籍し、2022-2023シーズンより東北フリーブレイズに入団。2年目の今季は、全日本選手権で決勝のマスクをかぶるなど、力をつけている。背番号は「33」。弟は、栃木日光アイスバックスのFW・俊之。

ふるかわ・しゅん
GK。1996年8月29日生まれ。183センチ、80キロ。青森県八戸市出身。八戸ジュニア、八戸東ジュニアを経て八戸二中、八戸工大一高、東洋大学へ進学。大学4年のインカレ終了後、2018-2019シーズンに東北フリーブレイズに入団する。大学在学中から日本代表の合宿に呼ばれるなど資質を高く評価されていたが、2022-2023シーズンで退団。今季から横浜グリッツへ移籍する。当初は3番手スタートだったが、シーズンが深まるにつれて主戦GKへ立場を変えた。背番号は「34」。

山口真一

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