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2024-04-19

【連載 大相撲が大好きになる 話の玉手箱】第18回「きっかけ」その1

平成26年10月28日、隠岐の海は詩子さんと婚約会見。翌日、入籍した

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人生は、まさに山あり、谷ありであります。
山にあるときは実に気分爽快、この世はオレのためにあるように思えるものですが、谷にあるときはお先真っ暗、気分も落ち込んで耐え難いものです。
そんなとき、何かの拍子で運命が一気に開け、再浮上することもまた、よくあることです。
まして、一瞬の勝負に人生のすべてを賭けている力士たちは。
気になるのはそのきっかけです。
どうやって負の連鎖を断ち切り、運命を切り開いたのでしょうか。
力士たちは次のように証言しています。
※月刊『相撲』平成31年4月号から連載中の「大相撲が大好きになる 話の玉手箱」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

勝因は妻のおかげ

まるで神さまがほほ笑んででくれたように、何をやってもうまくいくことって、ときにはあります。たとえば、競馬で大穴を当てたり、パチンコで大当たりしたり。宝くじだって、当てる人がいるんですよね。

力士もそうだ。平成27(2015)年初場所、東前頭6枚目の隠岐の海(現君ヶ濱親方)は会心のスタートを切った。初日から3連勝し、4日目も西前頭4枚目の常幸龍を掬い投げで降して無敗を維持した。この時点の全勝は、大関以下では隠岐の海がただ1人だった。
 
隠岐の海に何が起こったのか。足取りも軽く支度部屋に凱旋してきた隠岐の海のまわりには報道陣の輪が十重二十重にできた。すると、隠岐の海は、その輪をうれしそうに見渡し、おもむろにこう口を開いた。

「勝因? 家内のおかげですよ」
 
この半年前の平成26年10月28日、隠岐の海は福岡県内のお寺の娘で、4歳年下の詩子(うたこ)さんと結婚している。栄養士兼調理師の免状を持っており、まるでプロのチャンコ番と一緒になったようなものだった。29歳まで独身だった隠岐の海は、この力士に打ってつけのキャリアを持つ生涯の伴侶を得たことで人生が一変した。

「(料理だけでなく)朝は、『じゃあね』って見送ってくれるし、夜も待ってくれる人がいるといないとでは、全然違いますよ。お金? オレ、奥さんがいたら、それでいい。お金で買えないから。苦しいときも、奥さんの顔が浮かべば力が出る」
 
ここまで堂々とノロける力士はそうはいない。いやあ、ごちそうさま。もうおなかいっぱいです。確かに、かわいい奥さんにやさしく背中を押されたら、力が出そうだ。この詩子さんの“内助の功”はさらに続いた。
 
この場所、隠岐の海は、残念ながら二ケタ勝ち星には届かなかったが、9勝6敗と勝ち越し、翌春場所、小結を通過して新関脇に昇進した。島根県からは121年ぶりの関脇誕生だった。また、9勝6敗で前頭の6枚目以下から関脇に飛び級昇進したのは戦後初のことだった。
 
ただ、そういつまでもいいことばかりは続かない。この新関脇の場所の4日目、隠岐の海は朝稽古の最中に左足のふくらはぎを痛め、休場に追い込まれたのだ。場所が東京から直線で400キロも離れた大阪だったので、さすがの詩子さんパワーも届かなかったのかもしれない。3日目まで3連敗中だったため、ついにこの場所の隠岐の海の勝ち星はゼロ。新関脇の勝ち星なしは、15日制になって以降、昭和46(1971)年初場所の福の花以来、2人目だった。

月刊『相撲』令和2年9月号掲載

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