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2024-11-14

若手時代のジャイアント馬場のアメリカでのギャラは1試合600万円!【週刊プロレス】

1963年、日本プロレスのホープ時代の馬場

週刊プロレスでおなじみのプロレス評論家・流智美さんがジャイアント馬場の知られざる歴史を堀り起こす書籍『馬場戦記 第1巻 世界進出編』(ベースボール・マガジン社)が好評発売中だ。

ジャイアント馬場(当時、馬場正平)はデビューからわずか9カ月後の1961年7月、アメリカ武者修行に出発。日本プロレスの新人としては破格のスピードだった。9月18日にはエンターテインメントとスポーツの“殿堂”マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)に初登場。ニューヨーク地区を仕切る大プロモーターのビンス・マクマホン・シニアは、身長2m9cmで天才的レスリング・センスを誇る東洋人ヒールを「この男はトップスターになる」と判断し、その後もMSG大会に馬場を定期起用していく。
書籍『馬場戦記 第1巻 世界進出編』
マクマホンの見立てどおり、馬場はアメリカマットで大人気を博し、1964年2月17日には師匠の力道山も成し得なかった、日本人レスラー初の大偉業となる「MSGのメインイベント出場」を果たした。そこではWWWF世界ヘビー級王者に君臨する“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノに挑戦して惜敗。この1試合のギャラは3800ドル(当時の邦貨で約137万円。現在のお金に換算すると300~600万円程度)。これは当時のプロレスラーのワンナイトの稼ぎとしては全米ナンバーワン・レベルだったと思われる。日本のエースに定着する以前、キャリアわずか数年ながら、馬場は間違いなくアメリカのスーパースターだった。

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