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2024-11-14

【アイスホッケー】五輪最終予選、日本0勝3敗。~イントロダクション~

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まだ24歳だが、日本代表の中心DFである石田陸。11月のアジア・チャンピオンシップではキャプテン、大会のベスト・ディフェンスにも選ばれた

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「チームとして戦えることがわかった。
勝つという自信もありました」(石田)

 今シーズンも日本のアイスホッケー・プレーヤーが世界で活動している。アジアリーグで、北米で、そしてヨーロッパのリーグで。それぞれ秋と冬にレギュラーリーグを戦い、やがて春にプレーオフを争うことになるが、その前に彼らは、オリンピックの代表をかけて夏に戦っていた。8月末から行われたミラノ・コルティナ五輪の最終予選。そこでノルウェー、デンマーク、イギリスと戦ったのだ。

 9月5日にアイスホッケー・マガジンを出したこともあって、8月は編集作業に追われていた。インターネットのライブ配信で中継を見させていただいたが、3試合ともにタイトな試合。日本代表ウオッチャーにとって、ちょっと意外な結果だったといえるかもしれない。

 大会の前に、日本代表は開催地デンマークの「ヘアニング・ブルーフォックス」を相手に練習試合を行なった。1戦目は3-4(オーバータイムで負け)。2戦目は立ち上がりから6点を先行され、3-8で敗れている。テストマッチは全2試合が終了。ちょっとどころか、大きな不安を抱えて大会に入ることになった。

 8月29日、第1戦はノルウェーと。日本は国際アイスホッケー連盟のランキングで24位、ノルウェーは12位だ。世界選手権でいうと、日本は2部に当たる「ディビジョンⅠ・グループA」。ノルウェーは1つ上のカテゴリー、いわゆる「トップ・ディビジョン」で戦っていた。

 ノルウェー戦の第1ピリオド、先制点は日本だった。

 22歳~23歳で組んだ、2つ目のラインだった。ノルウェーの手厚い攻撃に手を焼いていた日本だが、16分、Dゾーンでルースパックを拾ったFW榛澤力(アニャンHL)がニュートラル、そしてOゾーンまでキャリーしてゴール前にパス。中央のレーンをドライブしてきたFW中島照人(イタリア・HCメラーノ)がバックハンドで合わせてスコアした。

 中島照は「後ろを見たら、相手選手が戻ってきていた。フォアハンドのシュートのほうが入りやすいんですが、バックハンドでも力だったら出してくれる、そういう信頼感は持っていました」と振り返る。

 ノルウェーも34分、38分、39分に、立て続けにゴールを決めた。2ピリを終わって1-3。パックの支配率からいって、日本が劣勢に立っていることは否めなかった。

 3ピリに入っても、42分にノルウェーが追加点。しかし、パワープレーの54分、日本が2点目を決める。Aゾーン右でタメをつくったFW中島彰吾(レッドイーグルス北海道)の横パスを、FW平野裕志朗(オーストリア・HCインスブルック)が左から豪快に打ち抜いたのだ。

「チームにとって、流れがつくれたゴールだったと思います」と平野。だが試合は結局、そのまま2-4で終わった。

 DFの石田陸(イタリア・HCメラーノ)は、こう感じたという。

「自分としてもチームとしても、戦える、勝てることがわかりました。負けはしましたが、自信もあった。体を張って泥くさく貪欲に戦えば、次は必ず勝てる、と」

 1日目を終わって、ノルウェーとデンマークが1勝を挙げて、勝ち点「3」。2日目以降のノルウェーとデンマークの勝敗にもよるが、日本としては最低条件として、2試合で勝ち点「6」をとらなくてはならなくなった。

 今回の五輪最終予選ではキャプテンとしてチームを引っ張った中島彰吾(中央)。レッドイーグルス北海道でも、Cマークをつけている
今回の五輪最終予選ではキャプテンとしてチームを引っ張った中島彰吾(中央)。レッドイーグルス北海道でも、Cマークをつけている

「デンマークに6人攻撃をかけるべきだった。
でも、かける場面がなかったんです」(中島彰)


 2日目の8月30日。この日は第1試合でノルウェーがイギリスに勝っており、勝ち点を「6」に伸ばしていた。日本の相手は、開催国のデンマーク。ランキングは11位で、予選に出ている4カ国では、もっとも上位だ。3000人を超す地元ファンの中で、日本の勝ち点「3」をめぐる戦いが幕をあけた

 この日も先制点は日本。またも2つ目のFWラインだった。

 1ピリ10分、DFハリデー慈英(レッドイーグルス北海道)がOゾーンに運び、パックがデンマークのゴール裏へ。榛澤が相手のDFとの争いに勝ち、ゴール前に詰めた中島照とFW佐藤優(ディナモ・アルタイ)が2対0、中島照が難なく決めている。

 前日に引き続いて先制点のアシストを決めた榛澤は、こう話している。

「デンマークと対戦することは、試合前からワクワクしていました。僕らのシュートでもアンダーソン(GK・NHLカロライナ)から点数が入るんだなって」

 会場は一瞬、静まり返ったが、次のシフトでデンマークは同点に。さらに17分には2点目を決め、1ピリを終えている。

 2ピリの36分。粘りある攻撃から、日本は2点目を入れる。

 日本のOゾーンにあったパックをデンマークがカット、しかしDF佐藤大翔(栃木日光アイスバックス)がニュートラルで取り返し、それをつないだFW入倉大雅(レッドイーグルス北海道)がエントリーする。再び入倉からパックを受け渡した佐藤大は、左スロットへ運んでシュート、その浮き球をFW古橋真来(栃木日光アイスバックス)が叩き込んだ。

 古橋はバックスで主力を張っているプライドがあったが、このチームでは4つ目のラインだった。デンマーク合宿ではFWの「13番目」の評価を受けて、大会では控えになることも心をよぎったという。

「4つ目はアイスタイムが限られていて、ゲームの流れを読んだプレーを心がけていました。ここ、パック持てるんだけど…というシーンもあったんですけど、とにかく4つ目としての働きをしなければいけない。それプラス、ワンチャンあれば…という気持ちでプレーしていました」

 2-2になったまま、残りの24分間は、両チームともゴールランプが灯らなかった。デンマークのアンダーソンと、レッドイーグルス北海道の成澤優太。2人のゴーリーが、どちらも譲らなかったのだ。

 60分を終わって、試合はオーバータイムに入った。3人対3人で、5分間の延長戦。つまり日本にとっては、60分での勝ち点「3」がつかないことを表していた。延長でたとえ勝ったとしても、その場合は勝ち点「2」しか与えられないのだ。

 成澤はこう話す。

「ああ、これでオリンピックがダメになっちゃったんだ…というのは不思議と思わなかったです。みんな、とにかく勝つ気持ちで戦っていた。僕は試合が終わったところで、それに気がついた感じです」

 60分勝ちを念頭に入れて戦った選手も、当然ながらいた。チームのキャプテン・FW中島彰はこう話した。

「デンマーク戦に60分で勝たなければオリンピックには出られない。でも、それをチーム全体として共有できてなかったんです。正直、その暇もなかった。今からすれば、6人攻撃をかけるべきだったと思います。思いますが、かける場面がなかったんです」

 オーバータイムの終幕は63分に訪れた。デンマークが、中島彰と石田がダブルスクリーンになったのを見計らってシュート。これが決まってデンマークが勝ち点「2」、日本は勝ち点「1」となった。

 平野裕志朗(右)と中島照人。中島照をはじめ全員が「オリンピックに出ることで人生が変わる」という言葉を信じて戦っていた
平野裕志朗(右)と中島照人。中島照をはじめ全員が「オリンピックに出ることで人生が変わる」という言葉を信じて戦っていた
 
「五輪の出場権がとれれば人生が変わる。
それを心から信じて戦っていた」(中島照)

 中休みがあった後の9月1日は、最終日のイギリス戦。オリンピックはなくなったが、日本の五輪予選は終わらなかった。ちなみにイギリスはランキング17位。ここまで五輪予選は2連敗で、日本と同じく本戦出場を逃している。

 FW大津晃介(栃木日光アイスバックス)はこう言った。

「デンマーク戦は延長にいった時点で、あ、俺はオリンピックに出れねえんだ…と思ってしまいました。でも、自分の年齢からいっても、へこむ姿は見せられない。1人1人どんな悔しさを持っているのか、それを見届けようと思ったんです。若い選手が涙を流して下を向いている選手もいたし、その中には、点を取っている選手もいた。その姿を見て、若い選手がここで経験を積んで、悔しい気持ちを伸ばしていけば日本代表は大丈夫だと思えたんです。僕はもうたまらなくなって、大丈夫だよ、次は4年後だと言って、1人1人を抱きしめました」

 1ピリはイギリスが3連続得点。しかし、1ピリ後の休憩が終わると、日本は見違えるように変わった。

 22分、ニュートラルからエントリーした大津晃が、そのまま左から切れ込んでいってファインゴール。

 36分、Оゾーン右からFW大澤勇斗(横浜グリッツ)がワイドリムを使って、左DFの佐藤大に。佐藤大が左から相手ゴールの裏を通すパスを出して、ゴール右に詰めていた古橋がフリーで決めた。アメリカンフットボール風に言えば「デザインされたプレー」。これで1点差に迫った。

 3ピリ、日本はPPが2回。この日はデンマーク戦と違って6人攻撃を仕掛けた。しかし、ゴールを奪うことはかなわなかった。

 平野はこう証言する。

「最後の攻撃で、いつもと違うポジションにつけというベンチからの指示がありました。僕もそうですが、それに選手が対応できなかった部分はあると思います。ただ、練習してきたのとは違うやり方でスコアできなかったというのもあると思う。五輪予選は、準備がすべてです。時間なのか、努力なのか。それをもっと改善していかなければならないと思います」

 2-3とイギリスに敗れた日本は、勝ち点「1」のまま全日程を終えた。最終戦ではデンマークがノルウェーを破って、イタリア・ミラノの本大会に出場することになった。



 代表選手の話を聞いて、いくつか感じたことがあった。

 日本はこの大会で、多くがダンプやチップで敵陣に攻め込んでいたが、高い確率で、パックキャリアがエントリーしたシーンから得点が生まれているということ。

 もしかしたら、選手とスタッフの間に、考えの相違点があったかもしれないこと。

 選手は「日本代表」に、年齢を問わず並々ならない愛着と誇りを持っていること。

 そして「オリンピックに行けばアイスホッケーは変わる」と信じて、日本代表は全員、戦っていたということだ。

 デンマーク戦の延長でシュートがポストに当たり、決勝点を逃した佐藤優は話している。

「大会が終わって、僕らは悔し涙を流していました。でも、みんな熱い選手だったし、勝ちを目指して本気で戦っていたというのは、誇りにしていいと思います」

 中島照は「(平野)裕志朗さんが言っていたのは、オリンピックの出場権がとれれば俺たちの人生が変わるよ、ということでした。オリンピックに行くことが決まれば、メディアだったり、ホッケー環境が変わっていく。みんなが、そう思ってやっていたんです」。

 8月29日から9月1日までの4日間、日本代表の五輪最終予選での成績は0勝3敗だった。いずれも接戦だったが、「惜しかった」「残念だったね」だけで片付けるのは違うんじゃないか。今はそんな気がしている。

 忘れてはならない2024年夏の日本代表の「声」。それを集める旅に、これから出かけてみようと思う。

山口真一

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