春は物事の始まり、スタートの季節でもあります。
あなたは春に何を始めますか?
振り返ってみれば、何かを始め、成就するにはきっかけがあるものです。
「決め手」と言ってもいいでしょう。
力士たちも力士人生をまっとうする中で、さまざまな決め手に遭遇しています。
例えば、入門にこぎつけた決め手、賜盃を抱いた決め手、昇進の決め手など。
そんな決め手にまつわるドラマを集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
小部屋の英才教育平成25(2013)年2月25日、初場所中の1月19日に亡くなった元横綱大鵬の納谷幸喜さんに国民栄誉賞が授与された。安倍晋三首相は受賞を指示したとき、
「(受賞は)当然。国民栄誉賞に値するということです」
と語っているが、相撲ファンの多くも、そう思っているに違いない。
大鵬と言えば、反射的に思い浮かぶのが横綱に同時昇進した柏戸だ。優勝回数は5回で、32回優勝の大鵬に大きく劣ったが、毎場所、日本中が二派に分かれて二人の対決に熱狂し、まさに大相撲史を彩る華だった。この柏戸の数字に表れない強さ、魅力はどこから生まれたのか。師匠の伊勢ノ海親方(元前頭筆頭柏戸)はこう明かしている。
「富樫(のちの横綱柏戸)は、稽古場では、毎日、弱い者とばかり稽古させた。そうすると、オレは強いんだ、と自信がつくし、自分の好きなように取れるので、自然にこうなったら負けないという型もできる。まあ、一種の英才教育と言っていいでしょう」
なんともユニークな育成法だ。しかし、これは我田引水の感が否めなくもない。と言うのも、柏戸が入門した昭和29(1954)年当時の伊勢ノ海部屋は稽古場がなく、一門の宗家の時津風部屋の土俵を借りて稽古する小部屋で、力士も十両の白雄山を筆頭に20人前後しかいなかった。強い者に稽古をつけてもらいたくても、その強い者がいなかったのだ。
二所ノ関一門の本家で育った大鵬とは対照的な環境の中で、次第に才能を開花させていったと言える。柏戸誕生の決め手はこの小部屋育ちだった。
月刊『相撲』平成25年4月号掲載