4月30日、東京・新宿の感通寺にて“過激な仕掛け人”と言われた新間寿さん(享年90)の葬儀がおこなわれ、女子プロレス団体「マリーゴールド」MIRAIが参列。“新間寿の秘蔵っ子”と言われたMIRAIは、昭和プロレス界を数々の仕掛けで盛り上げたレジェンドの死を悼んだ。
アントニオ猪木の片腕であり、タイガーマスクの生みの親。それ以外にも数々の仕掛けで業界を盛り上げた業界の功労者は、やはり男子プロレスの印象が強い。
だが、1986年に旗揚げされたジャパン女子プロレスに携わった新間さん。晩年には、会長に就いた「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレス」(前身=リアルジャパンプロレス)で2020年3月に導入された女子プロレス路線に新間流の叱咤激励を飛ばしてきたが、MIRAIと新間さん&初代タイガーの出会いはそれよりももう少し前の、2012年5月にさかのぼる。

初代タイガー&藤波辰爾&長州力らが中心となり、この年の5月5日、山口・巌流島で「武蔵・小次郎決闘400年記念チャリティ大会」が開催された。同大会では、前年の東日本大震災で被災した家族を招待するという試みが実施され、震災のチャリティ興行で初めて見た新日本プロレス宮古大会でプロレスにハマった当時のMIRAIは、この時「(巌流島大会に)行きたい!って自分から手を挙げて。(新間&佐山とは)そこからのご縁です」と振り返る。
その後、MIRAIはプロレスラーを夢見るほどプロレスにのめり込んだ。とはいえ、常に危険と隣り合わせのジャンルだ。新間さんは当初「やめなさい」と止めていたそうだが、ホンワカした雰囲気とは裏腹に頑固な性格のMIRAIがプロレスの門を叩いた後は「会うたびに『元気か?』『がんばってるか?』って、ずっと応援してくださってました」。
最後に会ったのは今年3月。一緒に食事をして、「『体調が悪くてねぇ』って言ってたんですけど、お会いしたときは笑顔でお話してくれて。やさしさに包み込まれる感じでした、いつも」とMIRAIは過激な仕掛け人との最後の時を振り返った。

新間さんがこの世を去った4月21日。マリーゴールドのPRのため山形県にいたというMIRAIは「驚きました。ショックというか…その時は実感がなかったです」。この日の葬儀で新間さんに感謝と最後の別れを告げて、ようやく「あぁ…って」と受け入れざるを得ない現実を突き付けられたという。
新間さんと初代タイガーマスクなくして、いまのプロレスラーMIRAIはいない。だが、そんな恩人に「恩返しできたか?」と問われれば、素直にうなずくことができなかった。
MIRAI「新間さんには、プロレスと深くかかわるご縁をいただいて。MIRAIがプロレスラーになりたいって言ったときは、やめさせなさいって(母親に)言っていたみたいなんですけど、入ってからはすごく応援してくれて。…でも、凄い試合を直接見てもらったわけでもないし、ベルトを持って一緒に写真を撮ったとかもない。ベルトに挑戦します!って言って、来てもらって、(新間さんの)目の前で『ベルト取りました!』っていうのもできなかったし。ずっと出たいと思ってたけど、ストロングスタイルプロレス参戦もできずにいます。そういうのしたかったな、できなかったなっていう気持ちはすごくあります」
5月24日、MIRAIはマリーゴールドの最高峰王座マリーゴールド・ワールド(王者・林下詩美)に挑む。新間さんの目の前でベルトを取ることは叶わなかった。ベルトを持って、報告に行くこともできずに終わった。だが、だからこそ、5月24日は勝って、ベルトを取って、新間さんに報告しなければならない。
MIRAI「ありがとうございましたってご報告したいです。がんばらないと…いえ、がんばります!」
なかなか結果を出せずにきた自分自身のために。
5月に旗揚げ1周年を迎えるマリーゴールドのために。
どんな時も応援し続けてくれるMIRAIファンのために。
そして亡き新間さんのために。
5月24日、MIRAIが深紅のベルトを取らなければいけない理由がまたひとつできた。

「1周年記念大会~Marigold SHINE FOREVER 2025 A Glorious Celebration」
★5月24日(土)東京・国立代々木競技場・第二体育館(14:30)
▼マリーゴールド・ワールド選手権試合(30分1本勝負)
<王者>林下詩美vs MIRAI<挑戦者>
▼高橋奈七永引退試合
※対戦カード未定