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2025-09-30

出るだけでなく、戦うために。世界選手権初出場、森凪也の挑戦と見いだした光明

世界選手権男子5000mに出場した森。予選敗退となったが13分29秒44の日本人歴代最高タイムをマーク



中盤のペースアップに対応も、ラストで失速

2人が目指したのは「絶対的なスピードの向上」、具体的にはハイペースへの対応力と、ラストのスパート力向上だ。特に後者に関して森は以前、「ラストスパートはそこまでの余裕度で決まるもの。練習の95%は4600mまでをいかに余裕を持って走るかで、最後のスパートを伸ばすために特に意識したことはない」という考えを持っており、そこにフォーカスした練習はしていなかった。だが5月のアジア選手権のラスト1周でG・シン(インド)らとの競り合いに敗れ、銅メダルに終わったことで、考えが変わっていた。

「優勝したシン選手は僕より先にラスト1周に入っているのでラップタイムはほぼ同じ。ただ前に出るタイミングがうまかったですし、ラストの直線で自分は外に振られました。位置取りも含め、技術と走力の差を感じましたね。今後は1500mにも積極的に取り組み、キツくなってからの走り方の技術や体の動かし方を身につけていきたいです」

8月の1500m参戦は、激しいポジション争いが繰り広げられるヨーロッパの1500mで、世界選手権に向けた実戦経験を積むため。ここで森は立て続けに自己ベストを出すが、記録が目的ではなく、世界の選手と肩を並べて競い合い、そこで力を発揮する術を身につけることが目的だった。わずか2戦ではあったが、国際経験の乏しい森にとって、それは意味があった。

そして帰国後、国内で練習メニューに合わせて高地と低地を行き来しながら本格的なスピード強化に努める。求めたのは最後まで先頭集団に食らいつき、ラスト800mを1分54秒から55秒で走れる走力。準備期間は短いながらも冒頭の本人の言葉にあった通り、やれることはやったという手応えを得られたという。

だが開催国枠で出場を決めた世界の大舞台は厳しい結果を突きつけた。

序盤は集団の後方に位置し、細かいペース変化の影響を受けないように務め、3000mを過ぎて集団がペースアップすると、そこに反応。4200m付近まで集団に食らいつくも、そこから再度、ペースが上がると対応できなかった。

「後ろから見ていましたが1000m過ぎた以降は中盤での出入りがやっぱ激しくて。そこに付き合っていたら多分3000m以降で離されたと思います。世界選手権ならではのペースアップは、一段階目は対応できたかなと思っています」

そう森は振り返る。しかし最後のスパート合戦には加われなかった。

「3000mからのペースアップに対応しましたが、そこまで後ろにいたこともあり、前に上がるのに脚を使ってしまいました。それもあり、最後にレースが動いたときには脚が残っていなかったですね」

小川監督は走力、レースへの対応力が足りなかったと認めた。


後方でレースを進めていた森は3000m以降のペースアップにもしっかり対応した

文/加藤康博 写真/中野英聡、田中慎一郎

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