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2025-10-07

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第33回「ハッパ」その4

大関伝達式では、師匠の遺影と一緒に記念写真に納まった稀勢の里

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壁にぶち当たったとき、踏ん切りがつかず悶々としているとき、そっと、あるいはまた思い切り背中を押し、尻を叩いてくれるハッパほど、ありがたいものはありません。
力士たちも順風満帆、自分の思うようにことが運ぶときだけではありません。
まさに山あり谷あり。
何をやってもうまくいかず、思い悩んでいるとき、周りから心温まる励ましの声をかけられて奮起し、思いも新たに歩き始めた経験を、誰もが持っているもの。
そんなドラマチックなハッパを紹介します。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

横綱の思いやり

ハッパには心からの激励の意味もある。

先々代鳴戸(元横綱隆の里)が急性呼吸不全で急逝したのは、白鵬の歴史的な連勝ストップから1年後の平成23(2011)年11月7日の午前9時51分のことだった。あまりにも突然のことで、弟子たちや部屋関係者の嘆きは計り知れなかった。とりわけ、6日後から始まる九州場所に大事な大関取りがかかっていた稀勢の里(現二所ノ関親方)の心の動揺が心配された。先々代鳴戸あっての稀勢の里であることを、みんなよく知っていたからだ。

その死から2日後、境川部屋に出稽古した白鵬は、稽古の後、こう言って稀勢の里をはじめ、鳴戸部屋の力士たちを思いやっている。

「明日、鳴戸部屋に出稽古しようと思っています。自分はこんな大変なことを経験したことがないので、みんな、おそらく稽古どころではないと思う。それでもここはひとつ、自分が行って胸を出し、肌を通じて頑張れと言いたい」

力士ならではハッパ、激励法と言っていい。ただ、この白鵬の弔い出稽古、残念なことに幻に終わった。稀勢の里ら、肝心な弟子たちが千葉県松戸市内で行われた先々代鳴戸の通夜に参列するために稽古を休み、福岡から飛んでいったからだ。もし実現していたら、みんなきっともっと奮い立ったに違いない。

この場所、稀勢の里はこんな周囲の思いやりにも支えられ、3場所連続二ケタ勝ち星の10勝を挙げ、場所後、悲願とも言える大関に昇進した。

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