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2025-11-11

ジャイアント馬場が控室に戻るや、ぶっ倒れた! 人生最大の危険試合【週刊プロレス】

灼熱地獄の中、ドリー・ファンク・ジュニアと闘う馬場(1970年7月30日)

 週刊プロレスでおなじみのプロレス評論家・流智美さんがジャイアント馬場の知られざる歴史を堀り起こす書籍『馬場戦記 第3巻 風雲独立編』(ベースボール・マガジン社)が好評発売中だ。

 日本プロレスの大エースとして君臨するジャイアント馬場は、1970年7月30日、大阪府立体育会館でドリー・ファンク・ジュニア(時のNWA世界ヘビー級王者)を相手にインターナショナル王座の防衛戦に臨んだ。試合は1対1から3本目が両者リングアウト引き分けに。合計52分35秒の激闘の末にベルトを死守した馬場は、控室に戻るや、大の字に倒れ込んでしまった。

 夏真っ盛りながら、会場には冷房設備がなく、テレビ中継用のライトに煌々と照らされ、館内は8500人超満員の熱気に包まれ、リング上は45度近い地獄のような暑さだったという。「死ぬと思った」(馬場)「最後は立っているのもやっと。電気オーブンで焼かれるチキンの気持ち」(ドリー)と両者のコメントが当日の過酷なリングを物語る。

 後年、馬場は「自分のプロレス人生の中で最も苦しかった一戦」と述懐。控室の扉の横にあった用具室で大の字になった熱中症状態の馬場に、ホースで水をぶっかけて何とか蘇生させたというのだから凄い。ホースから放水した当時中堅の高千穂明久(のちのザ・グレート・カブキ)は、「馬場さんは通路を歩いて用具室までたどり着くのがやっとでした。脱水症状で、体は痙攣していたし、唇が震えていましたから、あそこでホースをつないで処置しなかったら、命の危険がありました。それでもチャンピオンの意地で、観客から見えるところでは倒れなかったのはさすがでした」と、馬場の“王者の魂”を証言した。

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