傍目にはごくありふれた、どうってことはないものでも、他に代えがたい、自分だけの貴重なお宝を一つや二つ、みんな持っているはずです。
もちろん、それが目玉の飛び出るような高価な文字通りのお宝なら、なおさら結構ですが、それがどうしてお宝か、他人には分からないさまざまな思いがこもった物があります。
力士たちも、自分だけのお宝を大事に持っています。
そんなお宝にまつわるエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。
汗のにじんだサガリ得意ワザ、得意の型というのは、力士が大成する過程でしばしば変わる。30歳9カ月で横綱になった遅咲きの隆の里は、幕下に上がるまでは左四つだったが、左脇腹を痛めて右四つに変わった。
「大力士になった人は途中で大きく変わっている。例えば栃錦がそうだ。三役まではちょこまかと動き回る相撲だったが、大関、横綱になってからは左四つの堂々たる相撲に変わった。『これは決して挫折ではない』と自分に言い聞かせ、歯を食いしばって一からやり直したんだ」
と平成23(2011)年九州場所前に急逝した隆の里は生前、話している。お手本にしたのが「双葉山の再来」と言われた右四つの型を持つ第51代横綱、玉の海だった。
その玉の海が27歳の若さで亡くなったのは昭和46(1971)年10月11日のことだった。葬儀は相撲協会を挙げた大がかりなもので、まだ幕下だった隆の里も裏方に駆り出され、涙をこらえて必死に働いた。その葬儀が終わってしばらく経ったとき、隆の里は、玉の海の師匠の片男波親方(元関脇玉乃海)に呼ばれ、
「これは横綱が使っていたものだ。使え」
と一本のサガリをもらった。敬愛する玉の海の汗がにじんでいるような使い古しだったが、隆の里が飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
「いま思っても、どうしてまだ幕下に上がったばかりのオレに(片男波)親方がサガリをくれたのか、よく分からない。同じ二所一門ということもあって、オレに、それとなく目をかけてくれていたのかもしれないな」
と隆の里は話していた。
それから12年後の昭和58年秋場所、隆の里は糖尿病という力士にとってはやっかいな持病を克服し、横綱に昇進した。その新横綱の場所、化粧廻しも、それを入れる明け荷も一新される中で、隆の里は見るからに古いサガリをつけて土俵に上がった。それは12年間、コイツだけはとても使えない、と大事にしまっておいた玉の海の遺品のサガリだった。
「あれはオレの宝物だ。いまでもタンスの奥にしまってあるよ」
と隆の里は亡くなる4年前の取材に答えている。この場所、数々のプレッシャーをはねのけ、全勝優勝した。双葉山以来、45年ぶり、15日制では初の新横綱全勝優勝だった。
月刊『相撲』平成25年10月号掲載