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2026-05-01

初代タイガーマスクが登場! フィニッシュ時の場内歓声は「ウワー!」ではなく「オー!」【プロレス史あの日、あの時1981年4月23日/週刊プロレス】

初代タイガーマスクデビュー戦を報じた月刊「プロレス」1981年6月号(週刊プロレスmobileプレミアムで配信中)

4月28日に、後楽園ホールで「初代タイガーマスク特別記念イベント」が開催された(ストロングスタイルプロレス主催)。別掲したのは記念すべき初代タイガーマスクのデビューを報じた「プロレス」(1981年6月号)だが、意外にもその扱いは大きくなかった。

メインイベントがアントニオ猪木対スタン・ハンセンによるNWFヘビー級選手権(王座決定戦=これが最後のNWF戦)だったことで、セミ以下が割を食ったという側面があったにせよ、このあと日本で社会的な大ブームを巻き起こしたタイガーマスクの売り出しが「きわめてミニマム、中途半端」だったことを物語っている。

この日の観客数は発表で8500人と書かれているが、実際はかなり空席があって満員には程遠かった(実数だと6000以下か?)。私も会場にいたが、この夜は新日本の「歴代蔵前大会の入り」として史上ワースト3に入る印象が残る。

のちにアントニオ猪木が「ブッチャーを引っ張ってくる(引き抜く)少し前の蔵前国技館で、あまりに前売り券が売れていないと聞いたから、私が500枚くらい、自分で浅草地区で飛び込み販売で切符を売って、営業の連中に活を入れたことがある」と述懐していたが、それがこの蔵前大会だ。IWGPをスタートさせるために既存の看板、NWFヘビー級王座返上を発表しただけに、猪木はこの興行を超満員で迎えたかった。

ところが開催3日前に空席が半分以上もあることを聞いて怒りの手売りをやったというのが真相だったが、そもそもの原因は「タイガーマスクの登場を宣伝していなかった」ことに尽きる。

テレビ朝日が4月20日(月曜日)に新番組として30分のアニメ「タイガーマスク二世」の放送を開始しており、その番組で「実際のリングにも、タイガーマスクが登場する」と宣伝を入れるべきだったが、これを怠ったことが致命的で、折角の「佐山聡の凱旋興行」を中途半端なセットアップで迎えたことが、営業政策として失敗だった。

ところが、佐山は運が強い。シリーズの参加外国人の中に、ダイナマイト・キッドがいたことがすべてのピンチを救った。

佐山の帰国はシリーズ開催直前に決定したため、当然、対戦相手を追加で急遽招聘する時間はない。この「ビッグ・ファイト・シリーズ第2弾」にはキッド以外だとメキシコの強豪エル・カネックがおり(この夜は藤波と対戦し反則勝ち)、対戦候補の一人だったようだが、猪木が即断によりキッドをチョイス。これがもし、カネックというチョイスであれば、のちのタイガーマスクブームは起こっていなかった可能性が高く、デビューの相手選別が如何に重要であるかを証明した典型的な例でもあろう。

佐山が9分29秒、芸術的なジャーマン・スープレックスを決めたあとの場内歓声は、一気に盛り上がる「ウワー!」ではなく、低い音声が徐々に盛り上がる「オー!」だった。瞬時に「ウワー!」と両手(もろて)を挙げて勝利を賞賛する客がいなかったのは、フィニッシュが余りに衝撃的だったため、自分の感情を「ワー!」という声で発出できなかったからだ。むろん、私もその一人で、あのシーンに「オー!」以外の声が出せるはずもない。今のファンならば、すべての観客が「マジかよ!」と一斉につぶやくことだろう。それほどのショッキング・シーンだった。

このあとタイガーマスクは一時的に姿を消す。当時の新聞には「東洋人らしいが、正体は不明。5月7日に記者会見で詳しい経歴が発表される予定」と書かれているが、引退する2年後(1983年)の8月まで、正体についての記者発表はなかった。素顔として佐山聡がデビューしてから(1976年5月28日、後楽園ホール)も、まもなく50年になる。

流 智美

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