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2020-08-25

【私の“奇跡の一枚” 連載83】 天下の横綱ふたりが、正装で 一般車両に乗り合わせた事情

ご幼少の頃から相撲がお好きだった昭和天皇。天覧相撲は51回(うち国技館で40回)の多くを数える。

※写真上=今を時めく九重部屋の豪華なコンビが揃って、一般電車を利用する姿は、九重番記者にとっても信じられぬ光景であった。二人の横綱の手には無事終了した「大喪の礼」の『式次第』が…
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

「大喪の礼」ならではのハプニング

 その昭和天皇の『大葬の礼』=平成元(1989)年2月24日=に、日本相撲協会は二子山理事長(元横綱・初代若乃花)、春日野相談役(元横綱栃錦)をはじめ千代の富士、大乃国、北勝海の3横綱と旭富士、北天佑、小錦、朝潮の4大関が参列した。スポーツ界では最も多い参列者である。

 幕内力士らは葬場・新宿御苑近くの沿道から多くの一般の人々とともにお見送りしたのである。

 その日はみぞれ交じりの冷たい雨が降る寒い、寒い一日だった。取材を担当する私は、千代の富士びいきの昭和天皇のことが頭に浮かび、千代の富士をメインテーマにした記事にしようと思い、現場に駆け付けた。

 ところがである。スポーツ記者は会場に全く近寄ることもできず、ただただ途方に暮れるばかりだった。仕方なく思い足位を引きずって社に帰るために、JR千駄ヶ谷駅へ――。

 そのときだ。千代の富士と北勝海の二人が連れだって歩いてくるではないか! 幸い他社の記者もいない。「これだ!」と、私が思わずにんまりしたのは言うまでもない。

 当日、「大喪の礼」に参列する大相撲関係者は、全員が文部省〈文部科学省〉からバスで新宿御苑に行き、帰りは現地解散と決まっていた。車を待たせておく場所がないとはいえ、天下の横綱が東京都内で電車に、しかも二人もそろって大銀杏を結い紋付袴の正装で乗っているではないか!

 偶然にもその場に居合わせるとは、まさに天の配剤としか言いようがない。これは九重部屋のご利益ではなかったか、といまでも感謝している。

「トーチュウ」の誇る歴代九重部屋評論家

 九重部屋とわが社の良好な関係は、何代もの先輩記者たちが築いてきたものであることは、知る人ぞ知るところ。

 東京中日スポーツ紙には、元千代の山の『突っ張り御免』、元北の富士の『はやわざ御免』、元北勝海の『ぶちかまし御免』と、九重部屋代々の横綱による相撲コラムがずっと続き、現在も『はやわざ御免』が再登場、好評を博している。

 このとき、千代の富士は「何年ぶりかな? そうだ、明大中野高校にこの電車で通っていた」と感慨深げに振り返った。なんと18年ぶりに一般客として中央総武線の座席に腰を下ろしたことになる。中学3年時時初土俵を踏んだ千代の富士は、師匠(千代の山)との約束で、入門翌年の春から同校に通ったのだ(だが、相撲との両立はだんだん難しくなり、1学期だけで終わっている)。

 なにはともあれ、そんな電車の中で、写真には素人だった記者(手持ちのカメラもフィルム用の簡単仕様で、今のように高性能ではない)が、苦心惨憺して撮り、翌日大きく小紙の一面を飾った一世一代の写真がこれである。

語り部=家田信男(東京相撲記者倶楽部会友・元東京中日スポーツ)

月刊『相撲』平成30年11月号掲載 

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