close

2026-06-23

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第39回「一夜が明けて」その2

平成3年夏場所4日目、国技館での「2度目の引退会見」に臨んだ横綱千代の富士。前日の会見では「体力の限界」と涙したが、この日は晴れやかな笑顔だった(右は元横綱北の富士の九重親方)

全ての画像を見る
本当の喜びや悲しみは、ちょっぴり遅れてやってくるものです。
たとえば優勝力士の優勝を決めた直後の表情は、まだ激闘の余韻をそこかしこに漂わせ、口をついて出る言葉にも力みがみえますが、それから一夜明けた表情にはようやく肩の力が抜け、心からの喜びにあふれます。
平成25年九州場所、5場所ぶりに優勝した日馬富士の千秋楽翌日の顔も、一転しておだやかで、「きのうは久しぶりにおいしいお酒を飲んだ。やっぱり酒はおいしいね」と声がはずんでいました。
そんなさまざまなことがあった力士たちの“一夜明けの顔”のエピソードです。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

一夜でスッキリ

日本酒をこよなく愛した初代横綱若乃花が、

「こんなに酒はうまかったのか」

と痛感し、我が生涯最高の美酒に挙げたのが、引退を表明した晩に飲んだ酒だった。きっと横綱の重責から解放されて、もうあしたから頑張らなくていいんだ、という思いが特別の味を醸したのだろう。

優勝31回。「小さな大横綱」と言われた千代の富士が引退したのは平成3(1991)年夏場所3日目の打ち出し後だった。横綱在位10年。35歳。大相撲界で初の国民栄誉賞も受賞し、もうやることはやり尽くした感じの引退だったが、引退会見では、

「体力の限界。気力もなくなり、引退することになりました」

と声を詰まらせ、滂沱の涙を流している。まだやり残したことでもあったのだろうか。この涙の引退から一夜明けた翌日、

「ゆうべはゆっくりしたいと思ったが、周りがごちゃごちゃしていて、あまりよく眠れなかった」

と眠そうな目で両国国技館に現れ、午後2時から改めて引退会見を開いている。モスグリーンの着物と羽織、紺の袴姿で自宅を出ようとしたとき、久美子夫人に、「ちょっと」と呼び止められ、一通の手紙を手渡された。開けてみると、

「ご苦労様でした。いろいろありがとう」

といったことが書いてあったという。あの偉業の裏にあたたかい家庭があったことがこのエピソードからもうかがえる。

おもしろいのは、両国国技館に到着し、用事があって地下の審判委員室に行く途中のこと。一人の力士にすれ違ったという。前日、とったりで敗れて引退の決断をするきっかけを作った西小結の貴闘力だった。

「がんばれよ」

と千代の富士が声をかけると、貴闘力は直立不動で、「ハイッ」と答えた。当時、貴闘力は23歳。千代の富士は自著『負けてたまるか』の中で、「まぶしいほどの若さだった」とうらやましそうに書いている。

月刊『相撲』平成26年1月号掲載

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事