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2019-11-12

【私の“奇跡の一枚” 連載42】 佐賀ノ花「幻の優勝額」 収集した相撲新聞記事スクラップ帳で確認

私は父親の影響で幼少時から大相撲に親しみ、気が付けば半世紀を超える趣味――いや、生活の一部となって今日に至っている。

※写真上=その資料を作った者も生かす者も、頼りになる昔の新聞記事スクラップ帳。大事な証拠となれば、網点の大きさも気にならない、というよりありがたさが……
写真:月刊相撲

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。 

“縁”と“運”に恵まれて

 高校生のころから勉学はそっちのけで相撲趣味を満喫、以後「観る」「聴く」「集める」「調べる」をモットーに、大相撲史研究に微力を注いできた。

 私は“縁”と“運”に恵まれて、大相撲を趣味とする多くの諸先輩、同好の士、後輩たちと知り合うことができた。本来の仕事を離れ、『相撲趣味』を楽しむ仲間たちの間では、年齢の違い、人生経験の差などは気にならず、楽しい憩いのとき、くつろぎの場として、今もって変わることない「大切な時間」としてある。

 大相撲史の調査は、実に根気のいる作業である。自分は主に力士・親方・行司などの人物の履歴・経歴の調査と、年寄代々、諸制度の解明に重きを置いている。

 優勝額については、各人のポーズ(姿)の確認を入念にした時期があった。初めに披露されたものと異なる姿、取組表の裏面にあった優勝額の写真と実際とは違っていたなど、新発見も少なくなかった。

 思い起こせば、数々の確認・発見、資料発掘など、その折々のことが思い出となって蘇ってくる。そのなかでも一枚(一点)の写真(図版)の確認・発見の思い出を――と問われれば、佐賀ノ花(のち二所ノ関親方)の優勝額(昭和19年1月場所優勝。同5月掲額)のことを一番に挙げる次第である。

掲額証拠発見! 絵柄も確認

 両国国技館内に掲げられている優勝額は、国技館内の名物となっていることは周知のとおりである。

 従来、旧両国国技館内の優勝額は、昭和18(1943)年5月場所の横綱双葉山の分を最後として中止され、同20年3月の大空襲ですべて焼失してしまい、両国国技館旧時代の額は、すべて実在していない――となっていた。しかし、映像・写真などでその勇姿をしのぶことができるのは幸いなことである。

 6年前、入手した相撲新聞記事スクラップ帳一括(大正~昭和30年代)の中の1冊に、忘れ去られていた優勝額の写真(図版)が確認されたのであった。昭和19年春場所(1月)小結で優勝した佐賀ノ花勝巳の分である。当時の毎日新聞(昭和19年5月18日付)によると、写真入りで報じられている(図版参照)。

 この佐賀ノ花の優勝額については、ごく一部の相撲史研究家の間で、その存在・行方がささやかれていたのであったが、約65年の歳月を経て確認されたのであった。

 当時は戦火が激しくなり、本場所は小石川後楽園(後楽園球場。屋外興行)で開催されている。戦時混乱のためか、贈呈式も行われなかったようであり、本来ならば掲額披露の式が館内であったはずだが、諸般の事情で実現をみぬままとなったようだ。

 ともあれ、優勝掲額は、天皇賜盃とともに、力士一代の名誉であり誇りでもある。 

語り部=小池謙一(相撲史研究家)

月刊『相撲』平成27年6月号掲載

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