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2019-08-02

【連載 名力士たちの『開眼』】 関脇・益荒雄広生編 パッと咲いてパッと散った…“白い閃光”――[その2]

体重が少しずつ増えるにつれて、益荒雄は番付もジワジワと上がり、初土俵から27場所目の昭和58(1983)年名古屋場所、ついに十両に昇進した。同期の北勝海より3場所遅く、双羽黒より3場所早いというまずまずの関取昇格だったが、ここからその出世スピードがガクンと落ちてしまった。意外に早く壁がやってきたのだ。

※写真上=4度目の幕内で迎えた昭和61年九州場所、11勝を挙げ、初の敢闘賞を受賞した
写真:月刊相撲

 果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

【前回のあらすじ】軽量ながら昭和58年名古屋場所、新十両に昇進した。60年秋場所には新入幕を果たしたが、その後は十両と幕内を往復し、自信を喪失。4度目の幕内で迎えた61年九州場所は、その苦悩の真っ只中にあった――

玉砕覚悟の速攻相撲が開花

 ただしぶといだけが売り物で、これといって売り物のない益荒雄にとって、この直面する障害がいかに分厚く強固なものだったか。北勝海や、双羽黒が、さっさと幕内上位に駆け上がりフレッシュ旋風を巻き起こした59年九州場所、益荒雄はこの十両の座さえ維持することができず、再び幕下落ちしたことでよく分かる。

 幸いにも、この屈辱の幕下暮らしは2場所で克服することができたが、その後も十両と幕内の一番下を上がったり下がったりする“シーソー生活”がいつ果てるともなく続いた。

 この61年九州場所は、そんな苦悩の真っ只中だったのである。番付は、3場所ぶりに幕内西13枚目に上がったが、相変わらず壁は目の前に険しくそびえ立ったまま。

 ――このまま、オレは元平幕力士で終わっちゃうのかなあ――。

 そう思うと、1年ぶりに目にする懐かしい故郷の風景も益荒雄の心を苛立たせるだけで、なんの慰めにもならなかった。

 そして初日、その不安をいっそうかきたてるように、高望山(最高位関脇)になんの抵抗もできずに押し出されて完敗。まだ場所は始まったばかりというのに、やり切れない思いで宿舎に帰った益荒雄は、

「こりゃ、また(十両に)落ちちゃうな」

 と小さくため息をついた。でも、このままなんにもしないで落ちるのはなんとしても腹立たしい。どうせ落ちるなら、行きがけの駄賃代わりに以前からひそかに研究していた相撲を思い切って試してみようか。益荒雄は、半分捨て鉢な気持ちでそう思った。それは、立ち合い、得意の右を差し、相手に何をされようがいっさい構わず、前に突っ走るという玉砕覚悟の速攻相撲だった。

 2日目の相手は前乃臻(最高位小結)である。

 負けてもともと、とすでに腹をくくっている益荒雄は、行司の軍配が返ると予定どおり右を差し、わき目もふらず前に寄って出た。

 するとどうだ。自分よりも13キロも重い134キロの前乃臻の体がススっと後退し、拍子抜けするぐらい簡単に土俵を割ったのだ。

「エッ」

 益荒雄は一瞬、息を飲んだ。と同時に、頭の隅に閃光が走ったような気がした。

「とにかく、あのときは衝撃的でした。これがオレの追い求めていた相撲だ、と思ったんです。目の前が急に明るくなるというのは、あのことを言うんですね、きっと。あとはこの相撲に必要な技術を磨くだけ。当時、あんなふうに下手を差して、相手を切り返すようにしながら寄る相撲は大錦さん(最高位小結、現山科親方)がとてもうまかったんですよ。だから、チャンスがあるとあの人の相撲を見て勉強しました。巡業などでは、それこそ後ろからついて回って」

 と4年後の平成2(1990)年名古屋場所限りで引退した益荒雄改め阿武松親方は、新しい活路を見出した日のことを目を輝かせて話す。

 この日を境に、益荒雄の相撲っぷりはガラリと変わった。十両にUターンどころかあれよ、あれよという間に11勝も挙げ、この場所、初の敢闘賞を獲得してしまったのだ。

 突然、彗星のように頭角を現した「益荒雄シンデレラ物語」の始まりである。

 でも、この日の益荒雄は、まだこの運命の激変を知らない。前乃臻を破り、半信半疑で勝ち名乗りを受けたあと会場の福岡国際センターの外に出た益荒雄は、急に空の太陽を身近に感じ、大きく伸びをした。

 やっぱり故郷の空に勝るところはない――。(続)

PROFILE
益荒雄広生◎本名・手島広生。昭和36年6月27日、福岡県田川郡糸田町出身。押尾川部屋。188cm119kg。昭和54年春場所、手島で初土俵。58年名古屋場所、新十両時に益荒雄に改名。60年秋場所新入幕。62年春場所、横綱大関を撃破し旋風を起こす。幕内通算20場所、111勝125敗64休。殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞1回。平成2年名古屋場所に引退し、年寄錣山を襲名。4年9月に阿武松に名跡変更、6年10月に分家独立し、阿武松部屋を興した。小結若荒雄、阿武咲、幕内大道らを育てる。

『VANVAN相撲界』平成6年11月号掲載

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