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2026-08-23

2夜連続と3本勝負のノーフォールフルタイム…ドリー・ファンクJrが日本マットに残した2つの稀有な記録【週刊プロレス】

1969年12月のアントニオ猪木vsドリー・ファンクJr

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今夏、昭和のプロレスファンに大きなショックを与えたニュースといえば、ドリー・ファンクJrが8月1日(現地時間)、自宅のあるフロリダ州オカーラで亡くなったとの報だろう。

1969年11月、日本プロレスに初来日。同年2月にジン・キニスキーを破ってNWA世界ヘビー級王座に就き、28歳の若き世界王者として新風を巻き起こしていたドリーだったが、父であるドリー・ファンク・シニアがマネジャーとして帯同していたこともあって、来日当初は過保護チャンピオンと見られていた。

しかし来日初戦(同年11月28日、東京・蔵前国技館)でダニー・ホッジと組んでBI砲(ジャイアント馬場&アントニオ猪木)の保持するインターナショナルタッグ王座に挑戦して60分フルタイムドロー。3戦目(同年12月1日、広島県立体育館)にはハーリー・レイスとのコンビで猪木&吉村道明組が保持するアジアタッグ王座に挑戦して敗退するも実力派ぶりを見せつけた。

そして12月2日には大阪府立体育会館で猪木、翌3日には東京体育館で馬場の挑戦を受け、いずれも60分フルタイムで世界王座を防衛。翌4日(札幌中嶋スポーツセンター)もバディ・オースチンと組んでインタータッグに挑戦するなど、東京・蔵前、静岡、移動日、広島、大阪、東京、札幌、室蘭といった強行軍での出場全7戦中、5試合のタイトルマッチを敢行し、3度の60分フルタイムと25分前後のタッグ挑戦試合を闘い抜いて来日当初の評判を覆した。

大阪で猪木の挑戦を受けた一戦は、力道山がルー・テーズに3度挑戦して以来、12年ぶりに日本で開催されたNWA世界戦。しかも3本勝負でありながら0-0、すなわちノーフォールで60分フルタイムとなったのも1957年10月7日、東京・後楽園スタヂアムで力道山が国内初挑戦して以来の結果であった。

60分フルタイムドローといえばハーリー・レイス王者時代の馬場戦(1977年6月14日、千葉・松戸市運動公園体育館&1979年5月9日、宮城県スポーツセンター)、ジャンボ鶴田戦(1978年1月20日、北海道・帯広市総合体育館&1980年5月28日、札幌中島体育センター)、鶴田vs長州力(1985年11月3日、大阪城ホール)、猪木vs藤波辰巳(1988年8月8日、神奈川・横浜文化体育館)、猪木vsブルーザー・ブロディ(1986年9月17日、大阪城ホール)、阪神淡路大震災2日後におこなわれた川田利明vs小橋健太(現・小橋建太/1995年1月19日、大阪府立体育会館)、最近では丸藤正道vsKENTA(2008年10月25日、東京・日本武道館)、オカダ・カズチカvsケニー・オメガ(2017年6月11日、大阪城ホール)などが強く印象に残っているが、3本勝負におけるノーフォールフルタイムは前述した2試合のみ。

最近のタイトルマッチで3本勝負はほとんどおこなわれないこともあって、“3度目”が実現する可能性はまずない。その意味で、ドリーは難攻不落の記録を残したといえる。またBI砲相手に残した2夜連続の60分フルタイムは、日本マット界初の快挙でもあった。

その後、ハーリー・レイスが1979年5月にディック・マードック、馬場相手に記録したのみ(5月8日、千葉公園体育館&5月9日、宮城県スポーツセンター)である。

さらに、来日中にNWA世界王座から転落しなかったこともあって、ドリーがNWA世界王座に挑戦したのはただ1度。それはジャック・ブリスコ王者時代の1974年1月というから、馬場が世界最高峰に就く前のことである。

「新春NWAチャンピオン・シリーズ」と銘打たれ、全日本プロレスが初めてNWA世界王者を招へいしたツアー。ブリスコはシリーズ中に馬場、レイス、ドリー、ザ・デストロイヤー、鶴田の連続挑戦を受けるスケジュールが組まれていた。

3番手のドリーは大阪市立東淀川体育館で挑戦(1974年1月27日)。1-1から60分フルタイムドローで王座返り咲きはならなかった。ブリスコはその前にレイスも1-1からの60分フルタイムで防衛を果たしているが、3日前とあって連続ではあるものの、2夜連続ではなかった。

ちなみにドリー唯一のNWA世界王座挑戦となった舞台、東淀川体育館は1968年竣工で、その後、フロアが張り替えられるなど改修はおこなわれているが、建物は当時のまま。半世紀以上前のこととあって、体育館関係者も「ここでプロレスが!? 2階席もあるので、あり得ますね。エッ、あのドリー・ファンクJrがNWA世界王座に挑戦! それは知らなかったです」と驚いていたが、ドリーの名前を知っていたことに逆に驚いた。

ちなみに同大会の観衆発表は5000人。しかし、会場の大きさしてとてもそんなに収容できるとは思えない。ただ、それだけNWA世界戦開催に反響は大きかったのだろう。しかし、そのNWA世界戦はセミ。メインは馬場vsレイスのPWFヘビー級戦。新大阪駅近くの区民体育館で、当時珍しかった2大タイトルマッチが開催されていた。

今夏のドリー逝去のニュースで、歴史に埋もれていた記録が掘り起こされた。

橋爪哲也

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