昨季、初めて経験したプレーオフ。1年前の宣言通りの「先制ゴール」。 東北フリーブレイズにとって、昨シーズン行われたプレーオフ・セミファイナルは、チームにとって「初めてのポストシーズン」と言ってもよかった。プレーオフに進むのは2017-2018シーズン以来、8年ぶり。当時を知るメンバーはベテランの3選手(FW山本和輝、GK畑享和、FW人里茂樹)だけだ。ほかの22人にとっては、フリーブレイズのユニフォームを着てのプレーオフは、言ってみれば「初陣」だった。
セミファイナルの相手は、リーグ1位のレッドイーグルス北海道。レッドイーグルスは圧倒的な勝率を誇り、レギュラーリーグ40試合で33勝。勝ち点は「98」で、2位以下を引き離す独走だった。対するフリーブレイズは、40試合のうち勝利したのは半分の20。勝ち点は「56」で、レギュラーリーグ4位での勝ち上がりだった。
当時、入団3年目だったFW安藤永吉も、これが初めてのプレーオフだった。それまでの2シーズンは、計57試合で通算2ゴール。3年目の昨季は主力セットに定着し、レギュラーリーグは6ゴール6アシストとキャリアハイの数字を残していた。
3月19日に始まったセミファイナルは、ちょっと意外な展開だった。第1戦、1ピリ開始9分で3点を奪ったフリーブレイズが、そのまま5-3で先勝したのだ。中1日を挟んで迎えた第2戦。連勝で「勝ち逃げ」を狙いたいフリーブレイズは、1ピリの11分、パワープレーのチャンスをつかんでいる。
12分、ウイング猪狩大智が右からエントリー。猪狩は相手のチェックによってバランスを崩してしまったものの、これをゴール左に詰めた安藤がシュート、さらにもう1度、しつこくリバウンドを叩いている。フリーブレイズらしい、泥くさいゴール。連勝への期待感がふくらむ先制点だった。
シーズンが始まる前、安藤は若林クリス監督との個人面談でこんな話をしている。
「2年目(2024-2025シーズン)は、僕をパワープレーで使ってくれてありがとうございました。ただ、今までのバンパーではなくて、ゴール前で使ってもらえないでしょうか。高校(駒大苫小牧)でも大学(法政)でも、僕が結果を出しているのはゴール前なんです」
監督の前で、安藤が宣言していた通りのゴールを決めた。チーム8年ぶりのプレーオフで、仕事をしてみせたのだ。
1ピリはそのまま1-0で、フリーブレイズがリードする。ところが、これでレッドイーグルスの目の色が変わった。2ピリの終了時点で2-2の同点。試合は延長の末に、レッドイーグルスが4-3でサヨナラ勝ちを決めている。
翌22日の第3戦。レッドイーグルスは1ピリに2点を先制する。フリーブレイズは1度も同点に追いつけないまま、2-5のスコアで完敗したのだった。
現在、「中学校のアイスホッケー部」としては八戸二中、釧路鳥取中の2校しか全国に登録がない。来年1月、八戸で行われる最後の「全国中学校大会」で同校初の優勝を成し遂げることが目標だ(写真提供・安藤永吉)プレーオフ後に迫られた決断。セカンドキャリアの「教員」に。 4月。選手にとっては避けて通れない、個人面談の季節がやってきた。
安藤はここで2026-2027シーズンの「決断」を迫られている。契約をなんとか勝ち取って、アジアリーグで4シーズン目を待つのか。それともセカンドキャリアの「教員」として、新しい目標に向けて漕ぎ出すのか。
「本音をいえば、選手を続けたかったというのもあったんです。これまで2年間、苦しんできて、3年目でようやく形になった。でも時間が経つうちに、気持ちが変わってきたんです。このタイミングで、八戸の教育委員会が社会科の教員を1名、募集をかけていた。それが八戸二中でした。結局、教員の世界でも、誰かが抜けない限り、先生にはなれないわけですから」
八戸市では数回、「教員免許を持っていて、でも教員にはなっていない人向けの講座」が開かれていた。安藤自身、ずっとそれに参加していた。
フリーブレイズとの契約が切れるのは、4月30日。それから1カ月半が経った6月15日。八戸二中の教員、「安藤永吉先生」初登校の日を迎えている。
「選手時代より忙しくなりましたけど、充実していると思います。朝から夕方まで、授業と部活。フリーブレイズで経験したメンタルと忍耐力が、この仕事で生かされている感じがします」
苫小牧の明倫中に通っていたころ、社会科の先生にあこがれたのが教員を目指すきっかけだった。その先生は、アイスホッケー部の顧問でもあった。
大学は、法政に進学している。
「教員免許をどうしても取りたかった。法学部の法律学科。ここが一番、教職を取りやすかったんです。毎日、5~6限目まで授業を受けました。教育実習にも行きましたよ。駒澤の監督の桶谷(賢吾)先生、総監督の(鈴木)司先生は、社会科の先生だったんです」
八戸二中で安藤は「アイスホッケー部のコーチ」になっている。監督の高橋英児さんは、黄金時代の法政を支えたOBでもある。
安藤はこう話している。
「2027年の1月に、八戸で全国中学校大会があります。これは全中の最後の大会でもあるんです。そこで学校初の優勝を飾って、全中を終わりたい。それがいまの目標なんです」
安藤がこの春、教員という道を選んだのは、考えれば考えるほど「縁」があった。そんなふうに思えるのだ。
雑誌「アイスホッケー・マガジン」2024-2025シーズン号の名鑑撮影。名前と一緒に写真を撮ったのだが、「フリーブレイズの安藤選手」は丁寧な字で対応していた。性格がよくわかる1枚だ最後に苫小牧で、弟と一緒に戦えた。あのプレーオフが僕のすべてだった。 話を現役時代に戻したい。アジアリーグでプレーしたのは3年間。安藤にとって、どのような日々だったのか。
「あっという間に過ぎていったと思います。でも、1年目は長かった。遠征に連れていってもらったのに、僕だけ試合に出られないこともあったんです。つらいシーズンでした」
「でも、フリーブレイズ以外でプレーする選択肢は、僕の中にはありませんでした。現役でプレーするのは、フリーブレイズが最初で最後。そう決めていたんです」
駒大苫小牧高の3年生。安藤はアイスホッケー部恒例の「支笏湖マラソン」で優勝している。「走るだけでは満足いかない」と、マラソンを終えてから、たった1人でウエートに打ち込んでいた。たまたまそれを見ていたのが、当時フリーブレイズの大久保智仁コーチ(現スマイルジャパン監督)だった。
安藤は振り返る。
「僕はキャプテンでしたから、みんなと一緒じゃダメだという気持ちで、1人でトレーニングをしていたんです。その時間に、たまたま大久保さんが見てくれていた。頑張っていれば、こういうこともある。そう思いました」。そのシーズンの1月、夏の全国選抜で初戦敗退だった駒大苫小牧高は、インターハイで優勝している。舞台は「八戸」だった。
やがて安藤は大学生になる。卒業後はアジアリーグに行くのか、教職なのか。「どっちに転んでもいいように、どっちも頑張ろう。それが僕の考えでした」。3年生の帯広インカレで、安藤は「得点王」になる。「ウチでやってみないか」。声を掛けてくれたのがフリーブレイズだった。
昨季のプレーオフ・セミファイナル。安藤が引退を決めたのは、「この試合以上のものが僕にあるのかな」と思ったからだ。
「最後に、苫小牧で試合ができた。弟(優作)の前で、憧れていたイーグルスを相手にゴールを決めたんです。あの試合は家族、親戚の人が全員、会場に見に来ていた。縁というのか、運命というのか、いまになって考えてみると、あの試合が僕の選手生活のすべてだったと思えたんです」
いま、安藤が思い出にひたる時間は「ありそうでない」。頭の中で考えているのは、この先の授業の準備であり、アイスホッケー部の練習の準備だからだ。
この取材は、日曜日の昼間に行われた。
「すみません。今日、アイスホッケー部の氷上練習があるんです。急がせてしまって、申し訳ないです」
安藤も、新しいチームで現役生活をリスタートさせた仲間の松渕雄太もそうだ。
若者は、未来のことしか興味はない。
でも、それでいい。そう思うのだ。
安藤永吉 あんどう・えいきち青森・八戸第二中学校社会科教師、1年生副担任。2000年12月1日生まれ。北海道苫小牧市出身。ピノキオ幼稚園在園時にアイスホッケーを始め、日新小、明倫中から駒澤大学附属苫小牧高へ。3年時にはキャプテンとして、八戸インターハイで優勝を果たしている。法政大学法学部法律学部に進学した後、東北フリーブレイズに入団。2025-2026シーズンまでの3年間、FWとしてプレーした。アジアリーグでの戦績は、94試合8ゴール14アシスト。弟の優作はレッドイーグルス北海道のFW。八戸の一番のお勧めスポットは「種差海岸です。海辺が芝生で、リラックスできるんですよ」。