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2019-09-11

【マラソン】高橋尚子氏が語るMGC女子展望 スローペースになったら持ち味を出しやすい、余計に展開が混沌とする可能性も

東京五輪マラソン日本代表決定戦「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」が9月15日(日)、男子は8時50分、女子は9時10分に、東京・明治神宮外苑いちょう並木からスタートを切る。男女各上位2名がオリンピックの代表権を手にする一発勝負の選考会。高橋尚子氏に女子の展望を占ってもらう。12選手が出場する女子は、互いに特徴を理解し合っている少人数の争いゆえ、その駆け引きに注目が集まる。高橋尚子氏はコースの特徴等、選手目線の考察を交えながら、勝負のキーポイントを挙げる。※陸上競技マガジン9月号(8月10日発売)より転載

終盤の強さは折り紙付きの松田。自分の持ち味を発揮できる展開に持ち込めるか(写真左)、MGCが2度目のマラソンとなる鈴木だが、周囲からの期待は高い(写真右)
写真/田中慎一郎、中野英聡(陸上競技マガジン)

コースと勝負のポイント

――まず、今回のコースは高橋さんが現役時代に走られた東京国際女子マラソンのコースとかぶっている部分も多いです。

高橋 全く同じではありませんが、失速したコースでもあり、復活したコースでもあります(笑)。

――さて、今回のMGC女子のレース展開はどのように予想されていますか。記録に関係なく、上位2名が代表権を獲得します。

高橋 今回はタイムと勝負、両方を追うレースにはなりません。基本的には勝負(順位)に徹するレースになりますので、前半はスローペースで進むと思います。スタートからの5kmはおおよそ下りのコースなので、まずは各選手にとって、ここをいかにていねいに走るかが最初のポイントとなります。我慢し切れずに前に出る選手がいたり、逆に押し出されたりする選手もいるとは思いますが、総じてスローペースで入って、20km辺りから各選手が勝負どころを見極めつつ、30km過ぎからが本当の勝負になる、というのが基本的な予想しうる展開だと思います。

――下り中心のコースが序盤にあることの影響は。

高橋 実際に走ってみると、地図で見るような 「あ、5kmは下りなんだ」というコースではなく、最初は上り下りが意外にありますが、気持ちが上がっているなかでスタートするので、気づかないうちにスピードに乗りすぎることに注意。そうなると次の5kmに入るときには体も温まって、「今日は行ける!」と思いやすい。私はそれを「悪魔の誘惑」と呼んでいますが、その誘惑に引きずられてペースを上げていってしまうと、20km以降でパタッと止まってしまったりするのです。これはトップ選手、一般ランナーにも共通していえることですが、とにかく10kmまでは相手のことより、自分のリズムで、しかも無理やりではなく自然に走っていけるか。10~20kmは、ある程度、平坦なコースが続くので、力を温存していく選手が多いと思います。飛ばない、蹴らない、跳ねない走りでいかに後半に力をためていくか。
 幸い10kmは日本橋、15mで浅草の雷門、20mでまた日本橋と、きりの良い地点に、覚えやすいポイントがあることも選手にとってプラスの要素です。というのもレースの前半は、こうした大きな目印が5kmくらいの長い単位で存在していることは、選手が落ち着いて走るには好環境なのです。これが17.3kmで日本橋とかになると、いろんな情報が頭に入りすぎて、気持ちが疲れてしまう。逆にレース後半は分かりやすいポイントが短い距離の範囲にある方が「まずはあそこまで」と目標を立てやすく、頑張りにつながります。

――20km地点までは、仕掛ける選手は出てこない。

高橋 そうですね。仮に一時的に仕掛けた選手が出ても、そこが勝負にはならないと思います。MGCに出場する選手たちは皆、20kmまでは余裕を持っていける選手ばかりなので、どんなペースになるかは分かりませんが、やはり勝負が動き始めるのは20km以降になると予想しています。
 それ以降のコースでは、20~25km(東京タワーのある芝公園)、30~35km(皇居近くの二重橋前)に折り返しポイントがあることも選手にとっては走りやすいと思います。というのも、仮にどの位置に付けていても、(折り返しですれ違うため)周りの状況、また他の選手の表情を自然と確認できるからです。通常、相手の様子を見ようとすると、後ろを振り返ったりしますが、それは時として不安の裏返しだったりします。そうなると見られた方に、「相手は結構、きついのかも」と悟られたりする。それが折り返しでは振り返らずに状況を確認できるので、1回作戦を立て直す機会にもなります。選手たちにはその2カ所の折り返しをうまく利用してもらいたいと思います。

――レース後半で勝負どころとなるのは、どの辺りでしょうか。

高橋 私自身もこのコースを試走しましたが、私が仕掛けるなら一度目は日本橋を過ぎた28~32km地点です。同時にその間にある給水地点も一つのポイントで、世界大会でも勝負どころとなります。集団がバラけてスパートがかけやすい。給水を早く取れる選手は有利ですが、給水テーブルが先で、早く取れない選手も、周りの様子をしっかり把握しながら走らなくてはいけません。もしその時点で集団が12人であれば、スパートではなくギアを上げて、人数を絞ることを考えます。
 その上で35~37kmで仕掛ける。39~40kmで大きな上りが二つあるので、その前に差をつけていきたい。カーブもいくつかあるので、そこで差をつければ後続の選手には視覚的なダメージを与えることになるからです。ただ、今回の12人の中でその仕掛けをする選手が出てくるかどうかは分かりませんが。

――昨年は6月から熱暑、今年は7月下旬まで涼しい日が続いていましたが、レース当日の気候は、レースにどのような影響を及ぼすでしょうか。

高橋 皆さんからもよく聞かれますが、当日どうなるかは本当に分からないですからね。正直、考えても仕方がない部分ではあります。私が1998年のバンコクアジア大会で当時の日本最高記録を出したときは、ゴール時は気温32度、湿度も90%近くありましたし、今回は9月15日の9時スタート、もしかしたら来年の8月6日の6時よりも暑い環境でのレースになる可能性もあります。基本は暑くなることを想定して準備することは大切ですが、必要以上に意識することはないと思います。

12選手の特徴と少人数の戦い

――12人という少人数のレースは、選手にとって心理面で影響があるものなのでしょうか。

高橋 選手にとっては、意外に走りやすいと思います。混雑しないので、接触の危険性も少ないですし、通常のマラソンよりも足場に気を使わずに済みます。コース前半はカーブも多いですが、通常のマラソンではカーブで曲がったときに列が少し縦長になるので、後ろにいる選手は少し脚を使って前方との差を詰めなければなりませんが、その心配もないので、集団のなかで自分の走りに集中できると思います。また、レース全体を見ても、今回出場する選手は、皆、これまでも何度か一緒に走った経験があり、お互いの特徴をよく理解しているので、作戦が立てやすいメリットもあると思います。

――序盤はスローペースとのことですが、そのなかでもレースを引っ張る選手をあげるとすれば。

高橋 あえて挙げれば小原選手(怜/天満屋)、ですね。小原選手はスローペースを嫌って、少しペースを上げることは十分に考えられます。あと岩出選手(玲亜/アンダーアーマー)が序盤から前にいく勇気のある選手かもしれません。
 2選手以外の選手の特徴を簡単に挙げてみると、安藤選手(友香)は前半から出るタイプではありませんが、どんなハイペースになっても、誰が途中で上げても付いて終盤での勝負所をうかがうタイプ。福士選手(加代子/以上ワコール)は前に出て引っ張るタイプではないですが、勝負どころの30kmから出る可能性はあります。松田選手(瑞生)は得意のラストスパートがあるので、前半から前には絶対出ませんし、前田彩里選手(以上ダイハツ)も似たタイプです。
 関根選手(花観/JP日本郵政G)、一山選手(麻緒/ワコール)は慎重にいくと思います。前田穂南選手(天満屋)は自在にいけるタイプだと思いますが、ロングスパートをかけて最後まで押し切れるかどうかは、まだ未知数な部分もあります。上原選手(美幸/第一生命G)はそのスピードをマラソンレースでうまく生かせるかどうか。野上選手(恵子/十八銀行)は30kmまではしっかり付いていけるので、それ以降がカギに。鈴木選手(亜由子/JP日本郵政G)は、2回目のマラソンで落ち着いて走れると思います。王者的な走りをすると思うので、前半は落ち着いて、中盤以降に勝負を懸けていくのではないかと思います。

前田穂南はどんな展開にも自在に対応できるタイプ

――代表争いの中心になる選手を挙げるとすれば?

高橋 まずは鈴木選手ですね。トラックのみならず、マラソンでも力任せではなく、軽やかな走り、力を温存しながらいけるタイプなので、楽しみです。あとは安定感のある松田選手、展開に自在に対応できる前田穂南選手の3名に、ワコール勢がどう絡んでくるか。安藤選手は粘り強く、福士選手はベテランらしくどう仕掛けていくのか、ダークホース的に一山選手が展開にどう絡んでくるのか。ただ、ラストスパートは松田選手ほどではないので、少し前から仕掛けたりすると思いますが。
 基本的に、例えばラストスパートに強い選手に対して、その持ち味を封じ込めるにはロングスパートをかけるわけです。逆にロングスパートが得意な選手には仕掛けに惑わされずに効率よく、いかに我慢して付いていくか。選手は皆、自分の成功体験があって、このMGCの場に立っているので、レースのペースに関係なく、極端にこれまでの自分のスタイルを崩すようなことはしないと思います。ただ、レースは生き物ですから、それにこだわりすぎないこともまた、大切なポイントであることを忘れてはなりません。自分のスタイルを軸にしながらその時々の状況に臨機応変に、あとはレース全体のなかでオンとオフの切り替えをいかにしていくかということです。

――スローペースのなかで、いかに自分の特徴を出していくか。

高橋 スローペースになったらなったで、それぞれが持ち味を出しやすい状況ともいえるので、余計に展開が混沌とする可能性があります。それゆえ、選手はやはり難しい戦いを強いられるので、どういう展開になるのかは、始まってからの見どころとなります。
 これは来年のオリンピック本番でも同じことで、ケニア、エチオピア勢と戦う意味でも、アフリカ勢の持ち味をいかに出させないようにして自分のペースに持ち込んでいくのかがカギとなります。

MGCはあくまで通過点、という気概を持って!

――今回のMGCは、五輪の出場権獲得が選手にとって最大の目標ですが、来年の本番を見据えて臨む選手はいるのでしょうか。

高橋 私は、来年のことも含めてチャレンジすべきだと思います。ここで1回選ばれて、そこから仕切り直して力を付けていくことは時間があるので十分できるのですが、MGCの経験で来年に生きることはたくさんあります。実際、オリンピック本番とほぼ同じコースを走るわけですが(東京五輪のスタート・ゴールは現在建設中の国立競技場)、歩道を試走するのと、実際のレースとして走るのでは、身体的、肉体的両面で全然違います。例えば37kmを越えて上りが2回ありますが、これは選手の視覚に入る風景と体で感じる感覚(きつさ)は同じだと思うので、今回走ることが五輪本番への準備になることは間違いありません。
 マラソンで怖いのは、こんな前半できつくなるはずないなどの頭の意識と体の感覚のズレが出ることです。そう考えると東京五輪の予行練習と思えばメリットは大きい。ある程度、東京五輪で自分は走るんだという気持ちを持って、上位2位にチャレンジしつつ、その先に、MGCの経験をどう生かしていくのか、というくらいの余裕がないといけないと思います。出場権を手にした選手は、「ここがあくまでスタート地点に立っただけです」と言い切れるくらいでいてもらいたいです。
 これは男子にも共通していますが、オリンピック本番のコースで選考会ができることは、日本人選手の特権ですし、最高の機会です。なので、ぜひ来年に結びつくようなレースを期待したいと思います。

――選手には、MGCはあくまでも通過点としてとらえてほしい。

高橋 今は、私たちの現役時代とは違い、絶対的な練習量は減っている分、医科学的な要素のアプローチが入ってきている時代です。現状、世界大会ではまだ結果には結びついてはいませんが、選手の素質の面では、私の現役時代よりも、素晴らしい素質を持っている選手が多いです。
 あと、男子の31名に比べて女子は12名と少ないですが、選ばれる3人については、男女ともに同等の期待を抱ける選手になると思います。
 ここ数年、女子マラソンの記録は足踏みしている状態ですが、男子の短距離やマラソンのように、誰か一人が突破口を開くと、全体がそれについていく状況が生まれていくと思います。MGCがその突破口になるレースになることを期待しています。

取材・構成/牧野 豊

解説者Profile
高橋尚子 たかはし・なおこ 1972年5月6日、岐阜県生まれ。県岐阜商高(岐阜)→大阪学院大→リクルート→積水化学→スカイネットアジア航空→ファイテン。1997年の大阪国際女子を皮切りにマラソンランナーとしての道を歩み、翌98年12月のバンコクアジア大会では世界最高に迫る日本最高記録で優勝。2000年シドニー五輪では日本初の金メダルを獲得した。2009年に引退後は、スポーツキャスターをはじめ日本陸連理事ほか、さまざまな要職を務めている。

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