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2021-01-07

ボウリング用語集 し

ボウリングマガジン

自主三原則 
じしゅさんげんそく

1965年、衆議院地方行政委員会は、ボウリング場における「風俗営業法の適用」を審査していた。大ブームに沸いた時期で、深夜営業、過大商品提供が日常化しており、世論の声は取締りを強化すべきであるとしていた。スポーツボウリング普及の一大危機と見た業界団体の日本ボウリング協議会(NBCJ)は、適用を回避するため「自主三原則」と呼ぶ業界規制を打ち出し、適用を免れた。①午後12時過ぎの営業禁止②5000円以上の商品提供を全面廃止③未成年者の深夜入場禁止と酒類の販売禁止。


ジェー・ビー・シー
Japan Bowling Congress 公益財団法人全日本ボウリング協会 

日本のアマチュアボウリングを統括する公益法人。1964(昭和39)年設立、73年財団法人化。83年日本体育協会加盟、88年京都国体の正式実施種目となる。同年韓国ソウルにおける第22回オリンピックでボウリング競技がエキシビションゲームとなった。国民体育大会の正式実施競技への道を開き、スポーツボウリングの礎を築いたJBCは、アジア競技大会など国際競技大会の派遣母体である。また、ボウリング競技の施設・設備・用具、競技・審判・褒章規定[FIQルール・JBCルール]を整備、国際柱技者連盟(FIQ)、世界テンピンボウリング連盟(WTBA)、(公財)日本スポーツ協会(JSPO)、(公財)日本オリンピック委員会(JOC)に加盟している。
95年、当時のJBC赤木恭平会長が世界テンピンボウリング協会会長(06年現在終身名誉会長)に選ばれ、世界テンピンボウリングのリーダーとなった。


ジェイ・エル・ビー・シー
Japan Ladies Bowling Club

須田開代子プロの提唱により、1976(昭和51)年結成。全国に女性ボウラーの輪を広げ、「美しさをいつまでも・若さはあなたの誇り・友愛を広く社会に」をモットーとする。プリンスカップなどの女子プロツアーを開催。初代会長・須田開代子。2007年度会長・中山律子。現会長・石井利枝。


ジェイ・ピー・ビー・エー
Japan Professional Bowling Association
公益社団法人 日本プロボウリング協会

1967(昭和42)年設立。2020年3月現在、会員数1168名(男子778名・女子344名・インストラクター13名)。ボウリング振興を担うプロトーナメントを統括、ボウリングの普及に努める。91年、文部科学省の社団法人化。ボウリングを日本人の「生活スポ-ツとして広く普及」させることとなり、ライセンスも従来の「ト-ナメントプロ部門」と新設の「インストラクタープロ部門」とに分割された。また、文部科学省「社会体育指導者」の資格付与制度で「商業スポ-ツ施設指導者」ライセンスを発行することとなった。主な業務は、プロボウラーの資格認定(プロテスト)と登録・競技会開催・記録公認・指導者の育成・関連団体との協力による振興事業開催などがあり、ジャパンカップなど国際交流活動も活発。2013年7月1日に公益社団法人に移行。現会長は谷口健(2021年1月現在)。


シェラック
shellac 貝の・貝殻の

1950―70年代まで、レーン表面の塗料として使われた。当時、レーンの維持・管理は名人芸だった。引火点が低く、硬度も低い貝殻成分(シェラック)の溶液を毎週のように塗布すると、毎日の念入りなクリーニングを繰り返し、レーンの損傷と磨耗を防いでいた。ボウラーにとっても、ハイスコアを期待しにくいコンディションだった。シェラックをニスで塗り固めたレーンは表面が軟らかく、ボールが滑走したり、回転する傷(トラック)がつきやすく、すぐに遅くなったりしてくるので、急速な対応が迫られた。現在は合成化学の進歩で、長持ちする樹脂などが用いられており、ボウリング場の手間と保護・管理のコストも大幅に軽減されたが、その恩恵はボウラー自身が一番享受している?


シェークスピア
William  Shakespeare (1564―1616)

英国の文豪シェークスピアは、古代ブリテン(キリスト生誕の頃)における伝説の王シンベリンを描いた戯曲「シンベリン Cymbeline」 や、1595年に初演された「リチャ-ド2世 King Richard  Ⅱ」にボウリングを登場させている。このボウリングは間違いなく「ローンボウルス Lawn Bowls」で、ジャック(Jack)と呼ばれる的玉(まとだま)が出てくる。ローンボウルスは九柱戯と異なり、ピンを倒すのではなく、的玉に自分の持ち玉をできるだけ近づける競技。ボールを転がす地面の形状によって、フラットグリーンとクラウングリーンに区別される。世界最古のローンボウリング場は、1299年(鎌倉時代)に開業した英国ハンプシャー州サザンプトンにある「サザンプトンオールドグリーンクラブ  Southampton Old Green Club 」。


シェーレ
Schere はさみ(仏語)

シェーレ競技は、国際柱技者連盟(FIQ)に加盟しており、ボーレやクラシックなどとともに現代ナインピンボウリングの3兄弟で、いずれも世界組織に属している。現在、ボウリングといえばテンピンを指すが、それ以外の普及エリアを見るとはなはだ狭い。世界ナインピンボウリング協会(WNBA)の3種目は、テンピンほどの広がりはないが、世界選手権を毎年実施している。主な参加国はドイツ・ベルギー・フランス・ルクセンブルグなどで、ドイツから西に偏在している。


シェル
shell 殻

ボールの表面素材のこと。大昔の自然素材(石や木)から、化学が生んだ硬質ゴムのエボナイトを経て、80―90年代はポリエステルやウレタン、その後はリアクティブウレタンとパーティクルが誕生した。レーンメンテナンスの技術とボールの科学が非常に進歩した現在は、レーンとのベストマッチを求めるハイアベレージ競争に突入しており、新素材の開発はさらに続くだろう。実際、シェルの種類によって、曲がりの70―80%以上を占める摩擦係数が異なり、しかもオイルに左右されにくい摩擦力が求めた結果、カバーストックに素粒子を混入したパーティクルが開発されている。


シニア、シニアスポーツ
Senior,Senior Sport

熟年。団塊の世代。アメリカでは、最低60―65歳以上の人々を意味するが、わが国でも65歳以上とする認識が高まっている。ただし、現状では行政にも明確な基準がないらしい。一般に、シニア世代は、同年代の交流を好む傾向がある。種目の特性、年中エアコンが効く運動環境があるボウリングは、プレーの合間があり、運動強度も最高の適性がある。また、中高年スポ-ツは「肥満と体力低下の防止」が目的であり、種目の選択で医学的に注意すべきことは次の4点である。
①10分間以上続けても、息が上がらず、軽い運動量の種目がよいこと。
②心身の鍛錬ではないこと。
③定期的に楽しくやれて、緊張が激しい勝負は度外視すること。
④寒いところ(冬の戸外)、暑いところ(夏の戸外)では絶対にやらないこと。


シニアクラブ
senior bowling club

最も熱心なボウリングファンは、シニアクラブのメンバーであると、言い切ることができよう。1970年代までの普及期、シニアクラブの入会資格は40歳以上だったが、現在は60歳以上が多くなった。月例大会、クラブリーグ、年に数回の特別行事、季節の旅行会を楽しみ、あのブームダウン時も、メンバーの減少は少なかった。経済最優先の現代では、メンバーの交流は重要な楽しみであり、核家族化の孤独を癒すものである。クラブ運営のポイントは、安全・快適・愉快なコミュニティだが、最近はセンター行事が次から次へと忙しくあるので、イベント後に「語らう」時間が少なくなってきたように思える。


社会体育指導者 
しゃかいたいいくしどうしゃ

本来、行政用語だったので、一般的には馴染まない言葉である。社会体育とは、地域における「みんなのスポーツ」とか「市民のスポーツ」と理解してよい。社会体育指導者は、競技レベルの低い「余暇スポーツ志向者」を指導する者と考える向きがあるが、本来は次のように考え、評価されるべきであろう。社会体育指導者のゴールは、いままで運動をしなかった人、これから始めようとしている人々に「種目の特性やメリット、楽しさ」を体験理解させ、ついにリピーターにまで育て上げることである。一般に、オリンピックや国体などの一流選手を育てた指導者を称賛する傾向があるが、高齢化社会にあってスポーツの普及がますます重要な時代となり、実は社会体育指導者こそ、より期待され、高く評価されてしかるべきであろう。


ジャストポケット
just pocket ちょうど、ぴったりのポケット

完全ストライクを生む、①―③ポケットの正確な場所。すなわち、ボールの中心が17.5枚目にあることをいう。一方、ポケットは入射角度が大きいほど、ヘッドピンの「右横・薄め」に広がる。6度の入射角度があれば、板目で1枚程度まで薄くなっても、100%のストライクゾーンがある。一方、ほとんど直球の場合、入射角度は0度となり、ジャストポケットは「針の先で突いた」ほどのごく小さな点になってしまう。上級レベル(アベレージ200点以上)となれば、連続ストライクが30%前後必要となる。事実、曲がらないと勝てない。


シャドーボウリング
shadow bowling(和製英語)

シャドーボクシングから来た言葉で、よいイメージを思い浮かべながら、ボールを持たないでするスイング、助走の練習。助走のリズムをチェックし、手足の動きを合わせるタイミング練習。正しくは、ドライラン(dry run)という。実際の投球前に行えば、軽いウォームアップや助走路の状況を調べることができる。


ジャパンカップ
Japan Cup

1985(昭和60)年、当時の株式会社イースタンスポーツ社長・中野啓二郎氏の発案で始まった日米のトッププロによるボウリング世界一決定戦。過去22回で、日本のプロの優勝は第1回(85年)の谷口健と第4回(88年)の酒井武雄のみ。05、06年には東京体育館でアリーナ決勝も実現した。


集中力
しゅうちゅうりょく

一定の事柄について、知的、精神的、肉体的に、積極的に、意識的に注意を向けながら活動し続ける能力を指す。集中力は、心理的な自律訓練法であるメンタルトレーニングで獲得できる。意識を集中して、肯定的な内容を思い浮かべながら自己暗示をかけるのである。長時間の精神集中を持続させるボウリング競技では、不可欠な訓練法であろう。


重力
じゅうりょく

地球の引力がすべての物体に作用する力。重力は、質量と地球の重力加速度の積として定義されている。スイングは、ボールにかかる重力と落下のエネルギーを利用してパワーを引き出す。すなわち、プッシュアウェイからダウンスイングまでのボールにかかる重力と、バックスイングからリリースに至る落下エネルギーを利用してボールの速度を引き出している。


ジュニアスポーツ
Junior Sports

年少者、下級生の意味を持つジュニアは、通常、高校生までを指し、大学生は入れない。日本語では4、5歳から10歳ぐらいを指すキッズ(kids)をジュニアと呼ぶこともある。一生で最大の発育期にあるので、ジュニアのスポーツ指導は発育段階と教育的配慮に満ちた指導が不可欠である。


生涯スポーツ
Lifetime Sport

アメリカに端を発した生涯スポーツの考え方は、社会・学校・家庭で、人が一生「健康で健全な生活を送れるように」スポ-ツを行うことである。したがって、ボウリングのように、子ども・青少年・成人に等しく魅力的であり、高齢になっても楽しめ、3世代交流が可能で、個人的な満足がある種目が最適である。また、全種目で最高の参加人口がある点でも、スポーツ行政が行う国家的キャンペーンでは優位性がある。生涯スポ-ツとしてのボウリングは、年齢・性差・属性を問わない幅広いファン層、軽度ながら健康管理に効果的な運動特性(ことに中高年齢に向いている)や、1年中エアコンディショニングされた快適な運動環境、すぐれた社交場としての機能などを考えると、最高の位置付けにあると考えてよい。

商業化
しょうぎょうか

コマーシャリズムの同義語。営利本意の経済的メリットを追求すること。テレビなどマスメディアを利用したスポーツの商業化は、チャンピオンスポーツ、各種のプロ競技を大衆化、「見るスポーツ」を普及させた。またノンプロスポーツなども、宣伝・拡販の手段として利用されていることは現代の常識である。そのため「テレビ・新聞で見られるスポーツ」こそがメジャーであるとする、偏った意識を定着させてしまった感がある。また、これに乗り遅れると時代に取り残されると考える業界人を生んでもいる。2000年から文部科学省と日本体育協会が進めている総合型地域スポーツクラブは、生涯スポーツのナショナルキャンペーンとして「商業化と無縁」と思われている。しかし、商業主義とはいわれない範囲のクラブマーケティングの積極的導入がなければ、近い将来、存続の危機を招くであろう。


商工会
Bowling Industry Commerce Association 日本ボウリング商工会

1981(昭和56)年設立。経営者団体、競技者団体、サプライヤーなどとともにボウリング産業の活性化を図ろうと、機械メーカー、用品業者各社の賛同を得て発足した。業界全体のイベント協力をはじめ、会員各位の恒久的、安定基盤の確立を目的としている。


ジョー・サム
JOSEF THUM(1858−1937)

「アメリカ・ボウリングの父」と呼ばれる。建国間もないテンピンボウリング創成期の立役者。ドイツ・バーデンに生まれ、15歳のとき、両親とニューヨーク州に移住した。1890(明治23)年代のニューヨークで、24レーンの当時としては巨大なボウリング場(ホワイトエレファント)を経営しながら、統一ルールとレーン、ボール、ピンなどの仕様規格を実現するために、強い団結力を持つ「ボウリングクラブ連合機構 UBC」を結成した。UBCは、世界最初で最大のボウリング組織ABC(アメリカ ボウリング協会)を発足させる原動力となった。また、サムの働きかけで、今日のFIQの原点となるヨーロッパ各国への活動を行い、1936(昭和11)年ドイツ・ベルリンオリンピック開催に当たり、ボウリング種目の採用を働きかけたが、時期尚早で実現しなかった。


ショートピン
Short Pin

レーン上を転がっていても、他のピンを倒せないピンのこと。


身障者のボウリング

1995(平成7)年、日本ボウリング場協会調査によると、身障者のボウリングイベントを行っているボウリング場は、アンケートに答えた157センターのうち68センターで、43%だった。参加人口は17000人を超え、最も盛んなところは神奈川県3385人、続いて岡山県の2375人だった。当時の身障者向けの設備は、ノンガターレーンが137センター1780レーンに及んでいる。また専用器具としては「ボウリングランプ(ボールの滑り台)と車椅子スロープ」「身障者トイレとハンドグリップボール、優先レーン」がある。


シンセティック
synthetic 化学合成の

世界のボウリングレーンで70%以上普及したといわれる合成樹脂のレーン。合成レーンともいう。表面硬度はメーカーによって異なるが、ウッドと比べれば2倍以上。硬度はボールとレーンの摩擦に大きな影響を及ぼすので、ウッドの時代はよく走るボール、シンセではオイルキャッチがよく、オイル量に左右されにくいボールが有利となった。


進駐軍
しんちゅうぐん

第2次世界大戦に敗れた日本にはアメリカ軍が進駐、敗戦に打ちひしがれたわが国の政治、経済、文化に多大な影響を及ぼした。なかでも豊かな大国、開放的なアメリカ文化を象徴する事ごとでジャズやファッション、ボウリングは日本人を魅了した。当時の米軍基地には、およそ400レーンがあり、エアコンディショニングされた場内は「まさにアメリカ!」であり、大口を開けてかぶりつくホットドッグ、コカ・コーラには異文化の味があった。ちなみに、アメリカでは1861(文久元)年の南北戦争以来、ボウリングは軍隊スポーツとして普及し、米軍は国内外に122センター、2056レーンを保有(97年)。基地のボウリング場ではABC公認レーンで家族や軍人がリーグを楽しみ、ごく少数の日本人の若者たちが出入りしていた。1952(昭和27)年、東京・青山に開業した東京ボウリングセンターは、米軍の設備を参考にしたもので、日本初の民間ボウリング場だった。


審判
しんぱん

ルールブックに、審判は競技全般の問題を規定に従って公平に判定するとある。審判員は協会の公認資格を持ち、競技者は次のような場合、審判の判定を待つことになっている。①ファール判定機の故障によるトラブル②ゲーム途中のリセットの可否(10フレームの3投目を除く)③ピンの脱落やアウトオブレンジの場合。

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