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2021-02-24

【プロレス】飯伏幸太「2冠統一」の真意/「IWGP」への先祖返りは実現するか!?

2・28大阪城では内藤とのインターコンチ戦を控える

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新日本プロレスの「IWGP王座」が揺れている。

 事の発端は、1・4&5東京ドーム2連戦で、IWGPヘビー級&IWGPインターコンチネンタル王座の2冠王者に輝いた飯伏幸太の発言だった。

 1・5大会のバックステージで飯伏は、唐突に「2冠統一」を提案。それから1週間後の同12日におこなわれたオンライン会見でもあらためて「統一」をアピールし、「物質的に1本にできるのであれば、1本にした方がいい」と、新ベルト製作が理想であるとした。

 そもそも飯伏が統一を提案した理由は、昨年1年間の2冠王座の扱いにあった。昨年1月の東京ドーム大会で史上初の2冠王者となった内藤哲也は、当初からそれぞれ1本ずつの防衛戦を提案。だが、主張が聞き入れられることはなく、2月の大阪城ホール大会ではKENTAとの防衛戦を敢行。以後の2冠王座の展開に期待も集まったが、同下旬からコロナ禍により興行活動が中止となった。

 6月中旬から興行が再開されると、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンから脱退してBULLET CLUB入りしたEVILと内藤の抗争がスタート。2選手の間で2冠王座は争われたが、正直なところ2本のベルトへの注目度という点では、モノ足りなさが残ったのも事実。言ってしまえば、ただ2本のベルトを持っているだけで、IWGP2冠王座の意味合いを提示できることなく2020年を終えてしまった印象があった。

飯伏も「去年、2つのベルトはなにが起きましたか?」と疑問を投げかけ、それならば1本にしてもいいのではないか?というのが、統一提案への主張。いわく「(ベルトが)2つともかわいそう。特にインターコンチに関してはスゴくかわいそうになったなって。ボクのなかではずっと(インターコンチは)最高のベルト、そしてIWGPは最強の人が巻くベルトだと思っていたので、この2つが合わさったら最高と最強のベルトになると思って、(統一を)言ったんです。1本の方がより大切なベルトになるんじゃないかなって」。

 ただ、王座を統一し、仮に新ベルト製作となれば、これまでのIWGPヘビー及びインターコンチネンタル王座の歴史も途絶えてしまうということ。飯伏は「2つのベルトの歴代の名前も残したい」と語るが、それはあまり現実的な願望ではない。

 飯伏が統一を提案してから、ファンの間でもさまざまな意見が飛び交った。多くは統一に疑問を呈するもので、やはり両王座の歴代王者を筆頭としたさまざまな記録が途絶えてしまうことに懸念を抱いている。

 IWGP構想が初めて公に明かされたのは、いまから41年前の1980年(昭和55年)12月13日、東京体育館大会。当時の新日本営業本部長である新間寿氏がマイクを手にして、リング上から次のように語った。

「来年はいよいよ猪木が世界統一に乗り出す。世界をアジア、中近東、欧州、中南米、カナダ、米国の6地域に分け、それぞれの地域で予選リーグ戦をおこなって代表者を決める。代表レスラーによって決勝リーグ戦を開催し、真の世界一、リアル・ワールドチャンピオンを決める」

 当時はまだ「IWGP」という呼称はなく、翌81年3月に京王プラザホテルに世界中のプロモーターを集め、そこで初めて「IWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)」という大会名が公開され、組織委員会が設けられることになった。

 当初の予定から紆余曲折ありながらも、83年5~6月に「第1回IWGP」を開催し、87年から「IWGPヘビー級王座」としてベルトが作られ、アントニオ猪木が初代王者となった。タイトル化してから約34年、現・第73代王者の飯伏を含めて32選手しかベルト戴冠者はいない。それだけの選ばれし王座だからこそ、ファンが「統一」の提案を簡単に受け入れることができないのも、当然のことと言える。

 ただ、IWGP構想を立ち上げたときも、新日本は痛みを伴った上で走り出した。IWGPを開催するにあたり、当時団体が所有、管理していたNWFヘビー級、北米ヘビー級、北米タッグの3王座を封印。団体の看板タイトルの歴史を途絶えさせてまで創設したところに、「IWGP」に懸ける当時の新日本=猪木の執念を感じさせる。

 仮に今回、飯伏の提案通りに2冠統一ということになれば、約34年に及んだIWGPヘビー級の歴史、そして約10年のインターコンチ王座の歴史は途絶えることになり、新日本は大きな、そして思い切った転換点を迎えることになる。

 飯伏は2冠統一をした場合、より世界を意識したベルトにするため「『IWGP世界』という名前もいい」と語る。世界統一、世界一のチャンピオンを決めるという、当初の「IWGP」の理念に倣えば、約40年越しの先祖返りとも言える行為なのだ。

「両方に敬意があるからこそ、ボクはどっちも生かしたいし、どっちも生きていてほしいんですよ。どっちも生きるように一つにしたい。だから『IWGP』という名称は絶対に消したくない。最終的に名前は会社が決めることなのでわからないですけど、2つのベルトが一つになることで、もっと(存在が)上がるというか。去年は小さいところで(ベルトが)移動していたような気がするので、もっと世界的なものに広げたい。もっともっと大きい枠で、もっとIWGPのベルトはスゴいベルトでしょっていう。いまはそう(最初の理念通りには)なってないですよね? だからたとえば、統一するなら『IWGP世界』とか、そういう名前もいいですよね」

 新日本プロレスは来年、旗揚げ50周年を迎える。半世紀という区切りを控えて、団体に多くの光と影をもたらしてきた「IWGP」が、回帰とともに新たな歴史を構築するための岐路に立っている。

<週刊プロレス・市川 亨>2・28大阪城では内藤とのインターコンチ戦を控える

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