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2021-04-05

【プロレス】1981年8月9日、国際プロレスが15年の歴史に幕…羅臼の落日とともに消えていった

国際プロレスのエース・ストロング小林

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 1981年8月9日、国際プロレスが崩壊した。

 最後の試合がおこなわれたのは最果ての地、北海道・羅臼町民グラウンド特設リング。すでに東京12チャンネル(現・テレビ東京)の放送も打ち切られ、ギャラの支払いも滞っていて、これが最後という覚悟で各選手がシリーズに臨んでいた。

 最後の試合に出場した日本人選手はラッシャー木村、マイティ井上、阿修羅・原、寺西勇、鶴見五郎、ミスター珍、マッハ隼人、米村天心、高杉正彦、菅原伸義、冬木弘道、新人の秋吉豊幸の12 人。アニマル浜口はビールス性肝炎のため欠場中。グレート草津はアキレス腱を切って取締役営業担当に転身していた。

 1967年1月5日に東京プロレスとの合同興行で旗揚げした国際プロレス約15年の歴史が閉じた大会。第1試合開始時はまだ明るく輝いていた真夏の太陽が、やがて北海道特有の雄大な夕映えを残して西の空に沈んでいった。

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