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2021-06-03

【プロレス】ルー・テーズが語るバックドロップ「“危険な落とし方”をしたのは2回」

若かりし頃のルー・テーズ

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 バックドロップの元祖と言えば“鉄人”ルー・テーズ。テーズはサンフランシスコで武者修行中に晩年のアド・サンテルからバックドロップを教わった。
 その頃のことをテーズは1986年時点で以下のように語っている。

「バックドロップはオキ・シキナ(沖識名)も得意にしていたが、サンテルがやってみせたのは、相手の左肩か右肩のどちらかを脱きゅうさせるために、故意に空中でバランスを崩して落とすものだった。だが、サンテルもすでに50を超えていたし『ルー、君がこれを実戦に用いるなら、相手の後頭部と両肩を同時に落とすように投げたまえ。アマレスの投げのようにね。ただプロレスのリングでは、時として“危険な落とし方”をしなければならない時がくる。そうしなければ、自分がケガをしてしまうような場面がね』と注釈をつけることも忘れなかった。

 私がこの“危険な落とし方”をしたのは、実は2回しかない。アントニオ・ロッカと、プリモ・カルネラがその犠牲者だったよ」

 ロッカを投げたのは、1953年11月。ロサンゼルスのオリンピック・オーテトリアムのNWA世界戦。カルネラ戦は「たぶん1950年頃。ワシントン州でジャック・デンプシーがレフェリーをした時」だという。

 その後、テーズは来日して、力道山との闘いの中でバックドロップを日本プロレス界に伝達。現在では新日本・永田裕志、全日本・諏訪魔、NOAH・小川良成らが得意技にしており、NOAH・マサ北宮も師匠・マサ斎藤さん直伝の「サイトー・スープレックス」として使っている。

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