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2021-10-28

藤波辰爾が語る新日本プロレス旗揚げ<3>「たまに猪木さんの自宅に行って倍賞美津子さんの手料理をいただいたり…」【週刊プロレス】

7月7日、新日本プロレスが事務所を南青山に移転。開所パーティにはアントニオ猪木、倍賞美津子夫人、藤波辰巳の姿も

 旗揚げはしたもののスター選手はアントニオ猪木しかおらず、招へいする外国人レスラーも無名ばかり。旗揚げ戦で豊登が助っ人として復帰したものの選手層は薄く、若手といえるのは藤波辰爾と木戸修ぐらい。当時はとてもプロレス団体と呼べる陣容ではなかった。

 そんな新日本プロレスに新弟子が入門してきた。藤波からすればいずれも年上で、格闘技の実績を持つものばかり。すぐにい追い抜かれるとの思いを抱いてもおかしくない。そんな状況の中で、藤波は何を思っていたのだろうか。

      ◇        ◇        ◇

 手作りでスタートした新日本プロレス。しかし当時は日本プロレス全盛。最初はプロレスファンに見向きもされない状況だった。そんな新日本がファンの心をつかんでいったのは……。

「旗揚げ直後って興行もないし、もちろん収入もないわけだから、普通なら『これからどうなるんだろう?』とか思うはずなんだけどね。まぁ僕は小鉄さんのところでメシを食わせてもらったり、たまに猪木さんの自宅に行って倍賞美津子さんの手料理をいただいたりで。今になって考えると贅沢だね(笑)。

 でも僕らは、夢に向かってという気持ちだったから悲壮感はなかった。だけど旗揚げして最初のころは、月に5試合ぐらいしかなかった。新日本プロレスの興行を主催してあげようっていうプロモーターもいなかったし、自主(手打ち)興行ばっかりで」

 それでも浜田広秋(グラン浜田)、関川哲夫(ミスター・ポーゴ)、藤原喜明、栗栖正伸といった新弟子が入門してきた。浜田は身長こそ低いが柔道でオリンピック候補一歩手前まで言った実力者。関川は大相撲からの転向組。藤原はボディービルで鍛え、すでに体は出来上がっていた。栗栖は国士舘大学柔道部出身。いずれも年上だし、格闘技経験なしで入門してきた藤波とは比べものにならない実績の持ち主。すぐに抜かれてしまうのでは……という不安もあったはず。

「それぞれみんな格闘技の経験がある選手ばっかりで、陸上競技からっていうのは僕だけですよ。ただ一つだけ、猪木さんと一緒に新日本プロレスを作った生え抜きだっていうプライド、負けん気っていうのはどっかにありましたね。やっていくうちに少しずつ技術も身についていく感じで。その一方で、新日本プロレスが盛り上がっていくっていう感じもありましたね」

 とはいうものの、無名の選手ばかりで経営状態は上向かない。苦しい時期が続いた。

「(旗揚げ)1年後に坂口さんや、坂口さんについてきた選手たちが合流して。キッカケはそこ。最初に見た坂口さんの印象? とにかくデカイ。僕が日本プロレスに入門した頃はちょうど海外遠征に出てて。凱旋帰国してすぐに僕たちが日本プロレスを離れたわけだけど、1年後に合流。坂口さんが本当に一番デカかったとき。馬場さんと同じぐらいの大きさを感じた。

 もう、持ってるものが違ってたね。星野勘太郎さんや木村健悟、キラー・カーンとかも入ってきて、一気に新日本プロレスの所帯が大きくなった。そして坂口さんが合流すると同時にテレビ朝日(当時NET)がついて。テレビ中継が始まって、新日本プロレスが興行会社として本格的に動き出したって感じで。これでやっと安心してやっていけるって思いましたよ」

(つづく)

橋爪哲也

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