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2021-12-23

タイガー・ジェット・シンはなぜ“ファイティング・オペラ”ハッスルに参戦したのか?「100万ドル積まれても、リスペクトの気持ちがなければ答えはNO!だ」【週刊プロレス】

ハッスルに参戦したタイガー・ジェット・シン

 1990年9月、アントニオ猪木デビュー25周年記念で新日本プロレスに復帰したタイガー・ジェット・シン。馳浩との巌流島決戦を経て、1992年6月にはFMWに参戦。さらに翌1993年5月から参戦したNOWで上田馬之助とのタッグを復活させ、1995年8月には戦場をIWAジャパンに移した。そのシンが2004年5月から「ハッスル」に上がり、お笑い芸人のHG&RG、元・読売巨人軍のウォーレン・クロマティらとも闘った。

 “ファイティング・オペラ”を掲げ、日本版WWEを目指した「ハッスル」は、狂乱ファイトながらもストロングスタイルが根底に流れるシンとは真逆のスタイル。にもかかわらず、なぜ「ハッスル」からのオファーにOKしたのか? “狂虎”は「ハッスル」にどのようなスタンスで向き合っていたのだろうか? 
※週刊プロレス2007年6月20日(No.1372)掲載。

――日本のファンは、あなたが「ハッスル」のリングに上がってもファイトスタイルがまったく変わっていないことに驚いてます。また、変わっていないことを喜んでもいます。

シン 変わる必要がないからだ。なぜ変わるか、なぜ変えるかといえばカネが必要だからだ。だけど、私はその必要がない。レスリング以外のビジネスで十分儲けいているからな。今(2007年当時)、1,000,000,000USドル(当時のレートで約12兆円)のビッグプロジェクトを手掛けている。私の土地を利用して2500軒の家とホテル、ショッピングセンター、スポーツセンターを建設する事業だ。そのために新たなハイウェイとインターチェンジも計画されている。いうなれば“タイガータウン”。スポーツセンターの名は「タイガー・ジェット・シン・スポーツセンター」になる予定だ。近くにはスキー場や湖もある。そちらのレジャー施設はすでにオープンしている。

――町がひとつ、そっくりそのまま開かれる感じですね。

シン だからリングに上がるのは、決してカネのためではない。どこからもオファーが来なくなったら、リングに上がらなくなるだけだ。私にとってプロレスリングはプロレスリング。ビジネスではない。だからスタイルを変える必要もない。

――では、なぜ「ハッスル」のリングに上がったのですか?

シン それは私に対するリスペクトを感じたから。私にとっては、どのようにリスペクトを表現するかが最も大切だ。何度も言うが、それは決してカネではない。100万ドル(約1億円)積まれても、リスペクトの気持ちがなければ答えは「NO!」だ。

――ということは「ハッスル」はタイガーさんを満足させる表現方法でリスペクトの気持ちを表したと?

シン YES。今日も先ほど、「ハッスル」のオフィスから飛行機のリクエストがFAXされてきた。「このフライトスケジュールでいいですか?」と確認してきたわけだ。ほかにどこの団体が、このようなことをする? 一方的に航空券を送ってくるだけで、こちらの意見をたずねようとしない。送られてきたチケットのフライトスケジュールを見て、「なんでこんなバカげた乗り継ぎをしないといけなんだ!」と思うこともあった。もし、チケットの手配をする前に確認すれば、そんなことないにもかかわらずだ。

――決して悪気はないんでしょうけど、ちょっとしたことで気分を害してしまうというのはよくあることです。

シン リスペクトとは、相手の気持ちを慮ること。それによって、相手はいい気分に浸れる。そうすればビジネスも人間関係もうまくいく。関係とはカネでつくるものではない。仮にカネで関係がつくられたとしても、そんなものはすぐに壊れてしまう。

――日本でも“カネの切れ目は縁の切れ目”という言葉があります。

シン 関係とはハートtoハート。それが一番大切だ。「ハッスル」はそれがわかっている。

橋爪哲也

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